百葉箱2016年8月号 / 吉川 宏志
2016年8月号
わたくしの好きはあなたの好きぢやない春の終はりの瞼を閉ぢる
澄田広枝
男女間の好みの違いであろうか。よくあることだけれど、上の句の「ぢやない」に迫力があって、頷かされる。下の句はうって変わって美しく、良い意味で茫洋としている。
「いや暇でね」駐在さんは自転車で去って行くなり海を背負いて
奥山ひろ美
海の近くの村の情景が目に浮かぶ。「いや暇でね」という駐在さんの言葉がとても効いていて、映画のワンシーンのようだ。
画家は終わりをみていただろう絵の青の奥へ奥へと鳥のはばたく
中田明子
絵に描かれているのは、鳥が飛んでいる途中の空間だけである。しかし、画家の目は、鳥がどこへ飛び去っていくかを見ていただろうと想像している。絵に内蔵された時間を感じている歌。明るい儚さのようなものも伝わってくる。
久々の晴れ間に乾く白きシャツ今日一日の日向をたたむ
黒瀬圭子
何でもない情景を歌っているが、シャツそのものが、日向そのものなのだという発想が新鮮だった。夕暮れに、久しぶりに晴れた日が終わっていくのを惜しんでいるのだろう。
陸橋の下に無風の季節きてそろそろ我も夏の当事者
鈴木四季
漢語の多い硬質な歌い方が魅力である。陸橋の下のむんむんとした暑さが伝わり、夏に向かっていく静かな心躍りも感じられるのである。「夏の当事者」が印象に残るフレーズ。
「戦争する国づくりを許さない」の「り」を持ち歩く二、五キロ
寺田慧子
「『り』を持ち歩く」が魅力的で、上の句のスローガンが、一気に実感的なものになった。よく目にする言葉が、急に生き生きとしてくる不思議さ。社会詠について、いろいろなことを考えさせられる一首である。