青蟬通信

河北新報の震災の歌 / 吉川 宏志

2016年3月号

 「歌壇」三月号で、震災の歌を百首選ぶという経験をした。この五年間で非常にたくさんの数の歌が作られており、すべてを読むことはできない。また、私が選んでいいのか、という疑念もあった。しかし、できるだけのことをしようと、朝日新聞と河北新報の歌をずっと読んでいった。他の新聞までは目を通すことができず、個人の力の限界を感じた。
 河北新報の新聞歌壇は、佐藤通雅さんと花山多佳子さんが選歌している。臨場感のある歌や、震災の傷を深く受け止めた歌が多く選ばれており、重い記録となっている。一人一首で百首という制約のために、入れることのできなかった歌を、いくつか引用しておきたい。
  ポケットに砂いっぱいに残されし兄の遺品のジャケット洗う
                           熊谷たかよ 
 「砂いっぱいに」の「に」に初めは違和感があったのだが、やはりこれでいいのだろう。かえって大量の砂に対する驚きが伝わってくる。花山さんは「事実のみを述べて、その瞬間が悲しく迫ってくる。」と書いており、共感する。佐藤さんは、同じ作者の、
  力尽きて逝きし兄やもその遺体発見場所は非常階段という
という歌を選んでおり、亡くなった状況も分かるのである。
  三陸はほぼ壊滅とラジオからその大津波階下に来てる
                        木村 譲 
 「来てる」という舌足らずな口語に、焦りつつ茫然としている様子が、よく表われている。花山さんは「情報と現場のぶつかり合う衝撃が端的に伝わる。」と評している。震災はメディアによって情報化され、現場を離れて広がっていった。「情報と現場」という視点に、考えさせられる。
  その答え恐るるあまり旧友の津波の安否を日をおきて問う
                          狩野ますみ 
  給水の列で出会いし知り人は妻子流されしを一言いいぬ
                          上遠野節子 
 一首目について佐藤さんは「震災圏外の人が圏内の人の安否を問うには繊細さが必要だ。」と述べ、「日をおきて」に心の逡巡が表れていると書いている。
 二首目には「妻子を奪われたのは大きな悲しみなのに日常のことばでしか告げることができない。それでも被災者同士には通じる。」と記す。
 悲痛な体験の後、どのように言葉と向き合えばよいのか、という問題に、佐藤さんはずっと悩み続けてきた。こうした評言からも、その苦しみが見えてくる。何げない言葉が人を傷つけたり、逆にじわりと心に沁みたりする。言葉へのおそれを感じることの多い日々であった。
  流されし田畑を知らず草取りに行くとせがみぬ痴呆の妻は
                          島田啓三郎 
 「痴呆の妻」という言葉に、少しためらいを感じてしまうが、暗澹とする一首である。津波という体験を、最も近くにいる妻と共有できず、語り合うこともできない。つらく、孤独感の深い歌であった。
 震災の歌のアンソロジーはいくつか出ているが、歌集や結社誌、新聞歌壇などをすべて見通した総合的なものは刊行されていないように思われる。千首、二千首という単位で、震災を詠んだ優れた歌を、幅広い範囲から集めた本ができないものか、という感想をもった。大変な作業になるだろうけれども。これは、安保法案を詠んだ歌についても言えることである。
 蛇足なのだが、もう一つだけ書いておきたいことがある。河北新報で次の歌に出会って大変驚いた。
  生き霊に死霊は混じり桜ばながれきのなかにひそと咲きをり
 作者名は省くが、この一首は、
  生き霊に死霊は混じり桜ばな散りたる庭に蟻が出てくる
                         『海雨』
という私の歌に影響されたものだろう(これは一九九九年に、靖国神社で作ったもの)。
 ただ、震災の光景として非常にリアルであるように思われた。元の歌より、確かな位置を占めている感じがする。私の言葉が、本当の居場所を求めて流れていったようで、不思議な印象を受けたのである。

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