塔アーカイブ

2015年11月号

鼎談「歌が誕生するとき」

吉川宏志・花山多佳子・栗木京子

記録:阿波野巧也
テープ起こし:干田智子

吉川 改めまして、こんにちは。
鼎談のテーマが「歌が誕生するとき」なんですけども、どういうふうに歌を作るかというのはやっぱり原点の問題というか、皆さん一番気にかかっていることかと思いますので、今日はその周辺をテーマに話していきたいと思います。

◆どのように歌を作るか ~歌のモード~

吉川 まず最初に、栗木さん、わりと素朴なところなんですけども、どんなふうに作っているかとか、そのあたりから話してもらえますか。

栗木 よろしくお願いします。
前にもインタビューでお答えしたことあるんですけど、俳句を読みながらそこからインスピレーションを得るということがわりあい多いですね。

吉川 家で、ですか。

栗木 家で、ですね。もう最近は泉のように歌が湧くということが全くなく、締め切りに追われて絞り出す感じで。そういうときに歌集を読むと、何か引っ張られちゃう、引きずり込まれちゃう感じがして。むしろ誰かの歌集を読むよりは、句集ですね。句集の中で名詞にすごく反応するんですよ。だから、あんまり意味とか考えない。俳句って短歌に比べて二物衝撃とかで名詞がわりあい剝き出しの感じでぽんと置かれてることが多くて、その名詞から何かをキャッチして短歌の世界に持っていく、ということが多いですかね。

吉川 花山さんはどうです。全然違う感じがするんですが。

花山 一週間ぐらい作ってないと、作り方忘れちゃうんですよね。歌どうやって作るんだっけ、どこから作るんだっけというときは、以前は斎藤茂吉をどこからでもいいから読んでました。それは中身じゃなくて、調べを頭に入れるというか、歌が出るモードになることがまず必要で。調べに言葉をのせていく、という。そうじゃないとどこから作るかわかんなくなっちゃうっていうことでよく読んでましたね。今はあんまりそういうこともないですけども。

吉川 短歌ってやっぱりすぐには作れないんで、二、三日ぐらいいろいろ悩んで、そして二、三日目ぐらいからやっと何かでき始めるという感じはあるような気がします。頭がモードに入らないとできない。僕は評論も書くんですけども、評論と同時にやってるとすごく大変ですね。文章を書く脳と歌を作る脳がやっぱりどこか違うみたいで、切り替えがすごく大変だなあというところはありますね。
僕自身はメモはやっぱり取るんですよ。通勤のときなんかに、断片みたいなものをメモするんです。メモを取っておいて、後から家で膨らませる。そういう作り方が僕は多いですね。そのうち、何首かできるとそれから派生して別の歌が生まれてくるという感じが多いかな。

◆この歌はどのように作ったのか

吉川 今日はですね、お互いに歌を挙げています。この歌はどうやって作ったのかと聞きたくなるような歌がやっぱりあります。どのように発想したのかお互いに聞き合ってみたいと思います。嘘を言わないで正直に話してもらおうかなということで。まず栗木さんの方から話してもらえますか。挙げてもらった理由を含めて。

栗木 花山さんの『おいらん草』というわりあい初期の頃の歌で、とっても好きな歌なんですけど、

ハイネのような魂だって死ぬものを暗緑の茶を注ぎ入れたり

わかりにくいという歌ではないんですよね。ただ、花山さんってそんなに固有名詞をたくさん使って発想するという方ではないですよね。しかもハイネって外国の詩人で、これがゲーテだと重くなりすぎるし、リルケだとちょっと思索的すぎるし、といって日本で西行では、『西行の肺』で吉川さんになっちゃうし。「ハイネのような魂」っていうこの発想ですよね。これがなかなか言えそうで言えない。それで、下の句でそれに対して紅茶を飲むとかじゃなくて、暗緑の茶を注ぎ入れる。茶碗に注ぎ入れたととってもいいし、自分の心の中、自分の体の中にお茶を飲んだというか、何か象徴的な意味でもいいんですけど。暗緑の茶を入れたというおさめ方もなかなかできそうでできないものがあって、読むとぞわぞわっとする歌なんですよね。ただ単にリリカルでいいなあというだけじゃなくて、作者のそのときの孤独感とか虚無感も伝わってくるような気がして、とても好きな歌なんですね。

吉川 花山さん、どうですか、これ。

花山 私、初期の頃の歌と、あとになっての歌の作りがかなり違うかなと思うんですけど、最初の歌集の頃はランボーだとか結構出てきて、青春というか、ロマンチックなところもあったんですね。それで、本当は、「ランボーのような魂だ」っていう方が自分にとっては自然だし、「暗緑」というのもよくつくと思うんですけど、そこを回避させて。ハイネというのが自分にとってそこまで入れ込んでいる人ではないんだけども、精神が好きで。「魂」なんていう言葉も自分で使ったのこれだけです。
上と下が分かれるのも私の歌では珍しくて、こういう作りははやってるんだけども、自分が避けてるタイプの歌なんですよね。上と下を配合するのは。だけども、初めの頃はわりと自然にやったのかなという気がします。

吉川 ランボーを外してハイネということですが、リズムというか、音感がいいですよね、ハイネって。

花山 ベタにしないっていう感じかな。

吉川 ランボーのような魂じゃちょっとつきすぎる。

花山 それに、恥ずかしいというかね。自分で本当に思っている人の名前を入れるのはちょっと。

吉川 ストレートにせずちょっとだけずらす。作歌では、そういうことも多いのかもしれませんね。
栗木さん、次の歌お願いします。

栗木 吉川さんの歌です。第一歌集『青蟬』の歌で、

画家が絵を手放すように春は暮れ林のなかの坂をのぼりぬ

吉川さんと言えばよくこの歌が挙がる、有名な歌ですね。比喩に特徴があって、「画家が絵を手放すように」というのは直喩なんですけれども、比喩って、AのようなBというときに、たとえられたBを際立たせるためにAは奉仕するっていうのが普通の比喩の作り方なんですけど、この歌は、逆にAの方がものすごく前面に立ち上ってくる。だからこの歌思い出すときに、「画家が絵を手放すように」っていうのがぱっと浮かぶ。言ってみれば、比喩の逆手をとったというか、非常に破格の直喩と言ってもいいと思うんですけどね。
吉川さんあたりがこういう長いフレーズでもって直喩を使う、しかもAのようなBのAの方に力を入れるみたいな、そういう直喩をある時期開拓したのかなという気もするんですけど。
ここで一つの世界がふわっと広がる、堀辰雄みたいな、軽井沢文学みたいな。特にどこというのは指定してないですけれども、「風立ちぬ」とか、「聖家族」とか、「ルーベンスの偽画」なんていう堀辰雄の小説もありますけれども、何か背後に物語や空間があるというふうな感じ。これはただうまいだけじゃなくて、大変にアクロバティックなおもしろさを持った歌でもあるかなと思います。

吉川 二十代前半の歌なんですけども、これなんか本当に直感でね、「画家が絵を手放すように」というのが先にできちゃったんですよ。その後がすごく苦労した歌です。「画家が絵を手放すように」って、恋の気分でしょう。で、最初は下の句で画家が絵を手放すようにあなたと別れたとか、そんなふうに作ろうとしたんです。でもそういうふうに作ると、すごくつきすぎちゃってうまくいかなかったんですね。それで、かなり苦労していろいろ入れ替えて、最後にこういう形になったんですね。先にワンフレーズができちゃって、それをあとどういうふうに展開するかで悩むということは多いですね。
「画家が絵を手放すように」という中にもう恋の気分があるんだから、あとはさらっと歌った方がいいのかなというのがわかって、京都の山の中を歩くときの情景を下句にもってきた。そういう感じですね。

栗木 この「画家」って夭折の画家っていう感じがしますよね。平山郁夫や梅原龍三郎ではなくて、佐伯祐三とかね。だからやっぱり恋の気分とか、悲しい気分がありますよね。

吉川 画家って自分で描いた作品を売るのはすごくつらいんじゃないかと思ったんです。短歌は自分で作って持ってたらいいんだけど。

花山 この歌では別れだとつきすぎるという話があったけど、吉川さんの『夜光』に、

しらさぎが春の泥から脚を抜くしずかな力に別れゆきたり

という歌がありますね。これも破格の比喩の歌ですけど、こちらは「別れ」がつきすぎどころか、かえって衝撃になっています。これも上の情景の方がすごく残るんですよね。鷺が泥から脚を抜いてる情景がリアルに立ってくる。それが一転して比喩だとわかる。そういう比喩がすごく特徴的ですよね。

吉川 きっと作るときに、自分の中でイメージが先に来ちゃうのかなという気がしますね。

花山 それは最初に情景が頭にあって、そこに別れを持ってきたというつくりですか。

吉川 感情より先に情景が浮かんでくるタイプなのかもしれません。
次に、僕の方から質問で、栗木さんの『夏のうしろ』の中の歌なんですけども、

風景に横縞あはく引かれゐるごときすずしさ 秋がもう来る

これすごく不思議な歌なんですね。「風景に横縞あはく引かれゐるごとき」っていうのは比喩で、何の横縞なのか、よくわからない。風か、またはトンボなんかがすうっと横に飛んでいくのか。はっきりしないのですが、言われてみると秋ってそういう感じかなあと思うんですね。夏だったらこういう感じはないし。秋の空気ってこういうふうに横縞がすうっと横に入る感じなのかなという気がして。そして最後に「秋がもう来る」って素直に歌われている。この歌はどういうふうに作られたのかなって前から聞きたかったんですね。

栗木 これは何となく散歩しながら作ったのかなあと思うんですけどね。吉川さんの評論集の『風景と実感』という本があるんですけど、その中に

 何も感じられなかった空間に、〈境界〉を発見し、そこに感情を導き出すメタファーを読み取る。こうしたプロセスを通ることによって、風景は初めて短歌のモチーフとなりえるのではなかろうか。

という一節があって、この「境界」っていう言葉ですね。風景って漠然と見ていると掴みがたいんだけれども、何か一本線を足すと境界があらわれる。だから、私、縦とか横とか斜めとか、右とか左とか、そういう言葉を、情景を描写するときに入れるのが好きなんですよね。
この歌も「横縞」っていう言葉の発見があって、吉川さんもおっしゃっているように、夏だとどうしても何か縦っていうイメージがあるんですね。夕立とかね、直線的にやってくるものという感じがあるんだけれど、夏が終わってそろそろ秋だなというときは、縦ではなくて横だろうと。そこで一つ境界線を見つけたというような、そういう発見を歌った歌と言っていいかなと思いますね。

花山 これは夏の終わりの歌ですよね。熱い空気の中にすうっと涼しい風が混ざってくる感じを視覚で言っているのがおもしろいなと思って、実感としてはすごくわかる歌かなと思いました。

吉川 この歌はすごくびっくりしましたね。具体的な意味は明確ではないはずなのに、何となくわかっちゃうというのはおもしろいなと思いました。

栗木 空間って、何か線を置くことによってかえって立体的になる。私の歌で、

大粒の雨降り出して気付きたり空間はああ隙間だらけと    『けむり水晶』

っていうのがあるんですけど。普通空間って隙間も何も感じないんだけれども、大粒の雨が黒々と降ることによって、雨と雨の間にこんなに隙間がいっぱいあるんだみたいな、隙間の発見があって。浮世絵のイメージもあるかもしれない。浮世絵も、雨の部分は黒く出るように彫るわけですよね。それが、江戸時代も後期になってくると、雨の部分を白く残すような描き方に変わってきて、またそれが独特の洗練された感じになってくる。わりあい浮世絵が好きなので、そういうようなことも潜在意識にあったかなあという気もしますね。

吉川 余談ですが、広重の浮世絵には雨の線が描かれているじゃないですか。あれって日本だけらしいですね。西洋画ではあんな線は描かなかったそうなんです。さっきの永田さんの講演にもありましたが、線があると見るからあの雨の線が見えるんですね。

花山 土地によって空気の湿度とか雨の降り方とか空間性は全然違ってくるのでおもしろいですよね、そういうの。栗木さんの場合、空間把握がやっぱり理科系なのかな。

栗木 黒沢明の「七人の侍」の乱闘シーンでね、人工的に雨を降らせるんですけど、雨を際立たせるために、そこに墨汁を混ぜたっていうのがあって。風景を詠むときって絵画とか、映画とか、そういう映像的なものは総動員して詠むかなというのを思いますね。

吉川 次の歌は、また大分違う歌なんですけど、花山さんの『木香薔薇』の歌で、

テレビ壊れて仕事はかどると思ひしにテレビは娘にも壊れてゐたり

テレビが壊れて、気が散らないで仕事が進むわと思っていたら、娘も、普段はテレビを見てておとなしいんですけども、テレビが壊れちゃったから自分にいろいろ話しかけてきたり、ちょっかい出してきたりして、結局仕事がはかどらなかったという意味なんだと思います。おもしろい日常の歌なのですが、すごく不思議な印象が残る。やっぱり「テレビは娘にも壊れてゐたり」ですね。テレビが壊れているなというのは普通にありえることなんですけど、娘にも壊れていたという表現が、普通の人間の発想とは思えないというか、ぶっとんでいて、すごくおもしろかった。栗木さん、どうです、この歌。

栗木 「テレビは」っていうふうに下の句で主語が転換していますよね。森岡貞香さんの影響もあるのかな。森岡さんの歌で、子供が棒切れを振り回して遊んでいると、その棒切れは子供をそそのかしているというふうに下の句でちょっと位相が変わる歌があって(「子供らのあそびにまじる棒切れがそそのかしをりあそびながらに」『百乳文』)、そのときに、何か棒切れって怖いなあっていう印象を持ったんですけれども、この歌はまあ怖さはないんだけれども、物の質感が下の句でせり上がってくるところが花山さんでないと作れないかなと思いますね。

花山 この歌の場合はちょっと森岡さんのそれとは違うかなと思って。棒切れを主体にした逆転の把握というようなものではなく、ただ単に散文的な持っていき方なのかなとは思うんだけども。

吉川 我々にとってはすごく不思議な発想なんだけど、本人にとっては自然なんでしょうね、きっと。

花山 まあわりと普通かな。

吉川 普通にできちゃったという感じですか。

花山 普通に言うかなというか、言わない? そのまんまかなという感じなんですけどね。通常言いそうな感じがするというか。

吉川 これ、上の「テレビ」と下の「テレビ」って同じですよね。同じテレビなんだけど、それが自分にとってのテレビと娘にとってのテレビの二つあるというか。それがすごくおもしろい発想だなと思いました。でも、多分自然にできちゃうんでしょうね。自分の素直な発想で作った歌が、意外と他人が見ると、「え、そうだったの」と驚かれることはあるのかなという気がしますね。
では次に花山さんが挙げた歌です。

花山 栗木さんの『夏のうしろ』の歌ですけど、

鉈彫りの円空仏見ればくらぐらとビルに喰ひ込みし刃(やいば)思ほゆ

栗木さんはね、時事詠のシャープさでよく取り上げられるんですけど、この歌は九・一一のビルに食い込んだ飛行機を歌っていて、読んだときにとてもびっくりしました。円空仏の鉈彫りを「見れば」って描いてあるけども、最初ね、あの事件からこの鉈彫りの円空仏を発想したのか、それを歌の作りとしては逆にしたのか、とか思ったんですよね。ショッキングな結びつきで、ちょっと考えられないなと思って印象に強く残った歌です。その辺を聞いてみたいなと前から思ってたんですよね。

栗木 円空というのは、十七世紀、江戸時代の修験僧で、岐阜県の飛騨あたりでたくさん木彫りの像を残しているんですね。細かく作り込むんじゃなくて、非常に大胆な作りの木像を作っている。私は岐阜に長らく住んでたことがあって、実家の近くにも円空仏を飾ってある資料館があったりして、私にとっては円空仏ってなじみのあるものなんですね。本当に木目も生々しく残ってて、木が仏になるその瞬間みたいなものをとどめてるところがとても好きなんです。
それで、九・一一は皆さんまだまざまざと記憶に残っておられると思いますけれども、ニューヨークのツインビルに旅客機が突っ込んだというあのニュースを見た後に鉈彫りの円空仏を見たときに、ああ、木からこうやって命は生まれたけれども、あの事故ではたくさんの方が亡くなったんだ、と思った。これはまさにリアリズムというか、実感で、だから私としては、逆じゃないんですよね。ニューヨークのツインビルに突っ込む飛行機を見たときに円空仏を思い出したっていうことではないんですよね。
「塔」八月号の「青蟬通信」で吉川さんが書いておられたんですけれども、黒木三千代さんが『クウェート』という歌集で、イラクの戦争のときに、サダム・フセインの侵攻をレイプという言葉を使って表した。でも、黒木さんは事件を、比喩を使って表すつもりはなかったっていうふうにおっしゃった。私もそうで、ああいう特に悲惨な事故を何かの比喩を使ってきれいに、すっきりと表すことは自分の価値観としてはしたくないという気持ちがあって。だから、この歌逆でもいいんですかってよく聞かれるんですけど、逆ではないというのを言いたい一首なんですよね。

吉川 この歌は本当にどきっとする歌ですよね。ビルが破壊されるのを直接的に詠むよりも、身近なものに重ね合わせたときの方が印象が強いということがあって、それが言葉の不思議さなんですが、典型的な例かなと思いますね。「喰ひ込みし」に、痛みがすごくあります。
では、花山さん、次をお願いします。

花山 吉川さんの歌ですけど、

杉山に雨がふりだす 軍手にて目を覆われし女のように

これ、『夜光』という歌集の一番初めの歌で、ぱっと開いたときにこの歌があって。こういうのを一首目に持ってくるって結構珍しいですよね。『夜光』っていうタイトルもすごかったし、ぎょっとしたというか。「軍手にて目を覆われし女のように」の「ように」が「雨がふりだす」につながるんでしょうね。で、杉山に雨っていうのは何かすごく暗いイメージ。だから、そこの暗さを「軍手にて目を覆われし」というふうに発想してるんだと思うんだけども、特に「女」ですから、何でこれが出てきたんだろうっていう感じはありました。
「軍手」とか、ちょっと戦争のイメージもありますね。どういうとこから発想したのかなと思って聞いてみたい歌です。

吉川 やっぱり戦争犯罪のイメージがありますね。「軍手」っていう言葉にそれを感じた気がしたんです。普通に軍手って言いますけども、もともと軍用手袋ですよね。そういうのがまだ現代に残っているというのがあって。これ自分でもよくわかんない歌なんですけども、自分が子供時代に、こういう事件が近所であったような気がするんですよ。そのときにはよくわからなかったけど、何かまがまがしい印象を受けた。そんな記憶がどこか自分の中に残っていて、それが蘇ってきたような気がしますね、この歌の場合は。

栗木 でも、この一連の中で、こんなニュアンスの歌が続くかというと、全然そうじゃなくて、巻頭歌でぽんと置かれていて。何か戦争にまつわる歌が並ぶのかなと思うとそうでもないし。
吉川さんの歌で、

人を抱くときも順序はありながら山雨(さんう)のごとく抱き終えにけり
『夜光』

という歌がありますね。雨が激しく降ってぱっと上がる感じ、吉川さんはそういうタイプかと思ったんですけど。山の雨と性的なものというのは、何かそういう潜在意識があるのかなと思ったりもしたんです。

吉川 山に雨が降っているのを見ると、ちょっと潜在意識がむらむらと来るというか、そういうのはあるような気がしますね。

栗木 でも、「ように」の係り方がわかるようでわかんないんですね。

花山 そうね。

吉川 「ように」というのは、比喩みたいだけど比喩じゃないんでしょうね。

栗木 ある意味、虚辞というか。ここで一つニュアンスを出すためのリズムみたいな感じ。

花山 「軍手にて目を覆われし女」がふと浮かんだみたいな、そういうことですかね。

栗木 具体的などの名詞に係るとか、そういう感じではなくて。

吉川 比喩に近いけど、ふっとイメージが別のものに変わった、という感じなのかもしれません。

◆どのように歌が作られたのか ~近代~

吉川 さて、次は、近代以降の作から、この歌はどういうふうに作られたのかということを考えたい歌を挙げてもらったんですけども、栗木さんからお願いします。

栗木 では、前川佐美雄の『植物祭』の歌ですけど、

胸のうちいちど空(から)にしてあの青き水仙の葉をつめこみてみたし

『植物祭』というのは昭和五年に出た前川佐美雄の第一歌集ですよね。モダニズムの実験的作品もたくさん入っていて、コクトーとか、アポリネールとか、ロートレアモンとか、いろんな西欧詩の影響や、吉田一穂の『故園の書』の影響を受けている。当時前川佐美雄自身も、奈良の自分の家が没落したりして、青年期独特の鬱勃とした気持ちがある。例えば『植物祭』の巻頭歌というのが

かなしみを締めあげることに人間のちからを尽して夜もねむれず

で、非常に猟奇的でミステリアスなイメージがある歌集です。
この歌、一読すると、胸の中を一回、全部わだかまりを空にして、そこに水仙の青々とした葉っぱを詰め込んでみたい、と。何か青春期のさわやかさみたいなものを感じるんですけど、水仙の花じゃなくて葉であるところがやっぱりポイントで。普通、水仙というと大体花を歌うんですよね。でも、水仙の葉を歌っている。水仙の葉は非常に毒性が強いんですよね。さわやかな歌の中に水仙の葉がまがまがしい、美しい毒を放っている。このときの前川佐美雄の気持ちはどうだったんだろうなというのに、とても惹かれる歌ですね。

吉川 花山さん、どうぞ。

花山 私は、これはやっぱりさわやかな方だと思って、水仙の毒とかを考えてるとは思えないのね。この「胸のうちいちど空にして」というのが、もともと自分の胸の内、そっちが鬱陶しいわけで、それをからっぽにして清冽で痛いような水仙の葉を詰め込みたい、と真直に読んでいいと思うのね。これ水仙のお花じゃちょっと歌にならないでしょ。水仙の葉はすごく青々とシャープで、それを詰め込んでみたい欲望というのは、よくわかります。

吉川 これは水仙の葉っぱというのを作者は毒があることをイメージして作っているのか、それとも全然そういうイメージなしで作っているのかという問題なんですね。青き葉に毒があるということを前川佐美雄が知ってて作ってるのだったら、毒を吸い込みたいというちょっと危険なイメージになりますし、作者がもし知らなかったら、さわやかなというか、植物の生命感を取り入れたいという読みになるっていうことですよね。だから、作者が水仙についての知識を知っていたかどうかで、解釈が変わってくる。なるほど、おもしろい指摘だと思います。よく裁判で、殺意があったのかなかったのかで問題になることがありますが、それに似た印象を受けますね。

栗木 だから、これ単独一首で読むとさわやかな歌なんだけれども、『植物祭』の中に置くと、いや、待てよって思う。この頃の佐美雄は石川啄木の影響なんかも非常に受けていて、自己客観、死にたい自分みたいなのをちょっと遠くからニヒルに見るみたいな歌もあって、だからわからないなっていう感じですね。

花山 わりとストレートだと思うんですよね、佐美雄って。

なにゆゑに室は四角でならぬかときちがひのやうに室を見まはす  『植物祭』

って歌があるけども、わりあい作りが暴力的っていうかね、発想が唐突なんですよね。水仙は毒だから、みたいな感じで遠回りするってのは考えられなくて。

吉川 作者がどういう意図で言葉を使っているのかわからない場合に、読者の想定する作者のイメージによって読み方が変わってくることはあるかなと思います。
次、僕の挙げた歌なんですけども、上田三四二さんの『湧井』の歌で、有名な歌なんですけども、

死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ

これはがんになられたときに作られた歌なんですけども、目の前に避けられない死が存在していることを実感したのですね。今、一日一日と生きているけれど、その一日一日は泉なんだ、貴重な賜物なんだということを歌っているんですけども。
この歌はね、昭和四十一年の作品なんですね。高安国世さんの『街上』という歌集に、これは昭和三十七年なんですけども、こういう歌があります。

かすかなる心の翳も読み合いて過ぎゆく一日一日の落葉

夫婦間の歌だと思うんですけども、どちらにも心の中に暗くつらいものがあるわけです。でもお互いに気を遣って、「読み合いて」だから、直接は言わないんですね。「あなたちょっと疲れているんじゃないの」とか言わないんだけども、お互いに気を遣って過ぎていく一日があった。その一日にも落ち葉が降っていたという歌で、一回切れがあると思うんですね。「過ぎゆく一日。一日の落葉」と。寂しい一日があって、その一日にも葉っぱが落ちていたよっていう歌だと思うんですけども。
この歌をもしかしたら上田三四二さんは意識していたんじゃないかなと思うんですね。上田さんは京大におられた人なので、京都の高安さんに親近感はあったはずで。もしそういうふうに読むとすると、この歌も「一日」の後に切れがあるんじゃないかって考えられるんですね。「死はそこに抗ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日。一日はいづみ」って、ここに一回切れがあるんじゃないか。つまり、生きている一日がある。そしてその一日は泉なんだよというふうに僕は読むわけです。
この歌葉、普通、「一日一日はいづみ」って続けて読むことが多いんですけども、「生きてゐる一日。一日はいづみ」というふうに読む方が歌が深いような気がするんですね。歌の句切れをどう意識するかによって歌の奥行きが変わってくるということはあるんじゃないかな。これはあくまでも一つの読み方なんですけども。花山さんは、高安さんからこの歌について聞いたことありますか。

花山 いや、気がつかなかったですね。これだと結句が泉と落ち葉で違ってて、泉の方は名歌としてみんなの記憶に残ってるけど、そこの違いは結構大きいのかな。泉って言われると何かすごく残るじゃない。こちらは一日一日は泉である、という比喩だし。読み方で言えば切れがあった方がたしかにいいかなと。
でも影響があったかどうかというのは、今のオリンピックのロゴの話じゃないけど、こういう「一日一日」とかいうのは結構多いので、わりと誰にでもあるかなという気もしたり。

栗木 私も今吉川さんのお話聞いてて、「一日一日は」というふうにリフレインで言っちゃうよりも、「生きてゐる一日」、ここで小休止を置いた方が深いなあという気はしましたね。
先ほどの永田さんの『作歌のヒント』の講演でも引用されている河野裕子さんの歌で、

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が  『蟬声』

これも、「あなたとあなた」というふうに並列なのか、「手をのべてあなた」、というふうに、あなたに触れたいというような、ただ一人のあなたなのか。読みが分かれたところがありまして。私は最初、あなたが複数いるのだと思ってたら、いや、そうではないんだよっていう読みを聞いて、そちらの読みの方がいいかなっていうふうに思ったりしたんですけれど。

吉川 あれは僕もびっくりした読みでしたね。「『あなた』と言ってあなたに触れる」というふうに解釈するわけですね。どちらの読み方をしてもいいと思うんですけども、河野さんとずっと歌会してきた経験からすると、河野さんはそういう複雑な歌い方はしなかったような気がするんですね。特に晩年の河野さんの歌はとてもストレートだった。だから、僕はこの歌は、あなたと別なあなたというふうに思っています。もちろん、色々な読み方をしていいんですけどね。

花山 切り方で意味が違ってきますものね、この歌の場合は。読者の読みたい意味の方で切ったり切らなかったりして読むんでしょうね。

吉川 句切れって大事だと思うんですね。漠然黙読してたらだめなんですね。字面だけを追っていると、リズムの切れ目を読み飛ばしちゃうんで。朗読しなくてもいいんだけど、五・七・五・七・七に切りながら読む必要はある。句切れが歌の生命かなという気はしますね。

花山 だから、釈迢空は全部自分で切っちゃうのよね。絶対にここで切って読め、みたいに。

吉川 そうそう。でもあれも嫌ですよ。作者から強制されてるようで。自分で切れを発見しながら読むところに創造性があるわけで。

花山 やっぱり読者の問題ね。

吉川 という感じがしますね。
では、次、花山さんお願いします。

花山 私は、両方とも「暴力」という言葉を入れた歌を選んでみたので、セットなんですよね。斎藤史さんの『魚歌』の歌ですけど、

暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた

斎藤史さんというのは何かについて作るという観念が明確なところがあって、この歌の場合、その時代背景として二・二六事件のときの歌だっていうのがわからないと、この「暴力」が何かというのはよくわからないんですよね。同時にそれがわかっても、「暴力のかくうつくしき世に住みて」というのはどういうことなのかとか、「ひねもすうたふわが子守うた」、これはどういうニュアンスなのか。全体が皮肉であるのか、それとも、斎藤史さんの場合、二・二六の青年将校に思い入れがあるので、その暴力を讃えているのであるのか。その辺の真意が知れない歌なんですけども、「暴力」という言葉を使って作るという動機ですか、そういう歌のつくりに興味があって選んでみたんですけども、どうでしょうか。

吉川 栗木さん、どうですか。

栗木 昭和十一年の二月二十六日ですよね。二・二六事件があって、その年の五月に第一子である長女が生まれているんですよね。それでその年の七月に二・二六事件に関与した将校たちが、十分な裁判も受けられないまま銃殺刑で額を撃ち抜かれた。
私は、暴力が美しいっていうのは、やっぱりその銃殺刑のことを非常にアイロニーを込めて言っているのではないかなと思う。反乱が「暴力」なんじゃなくて、いい悪いは別にして、それを起こした人間にも魂があるわけで、それに対して裁かないままに「暴力」をもって封じてしまう。それが何か世の中に目立っている、そういう世に対して、自分は生まれた小さな命を守っていくんだという。怨嗟の声を私は感じたりするんですけどね。

花山 一般的にはその青年将校の方の問答無用の「暴力」のイメージの方が強いですよね。だから、どちらかをさしているのか、それとも両方とも「暴力」と言っているのかわからない。歌の作りも一種暴力的なんですよね。これが本当にそれ自体に怒って歌っているのか、それとも、というような、この投げ出し方がすごく不思議な感じがいつもしてるんですね。

吉川 僕もやっぱり「暴力」は、青年将校の側のことかなとずっと思ってましたね。そして、その中に処刑された、幼馴染の……。

栗木 栗原中尉だったかな。

吉川 暴力はもちろん絶対だめなんだけれども、若い、幼馴染の青年がそういう「暴力」に走っていったという、その生き方に対する壮絶な美しさというのは感じてたんだろうと思いますね。そう読む場合は、「かくうつくしき」にアイロニーはないことになる。
で、下の句はわりと実感的な気がして、二・二六のような大事件が起きていても同じように日常って続きますもんね。特に幼い子がいるときは、ずっと目の前の世話に追われてしまう。そういう、後から振り返ったらすごい歴史の大転換点なんだけども、子供を育てるという日常は続いているという、その対比はすごくわかる気がします。

花山 やっぱり陶酔というか、賛美が入っている感じがして、「ひねもすうたふ」というのも何か独特の斎藤史さんの心象があるなと思って。女性はただ子守唄をうたうのみ、みたいな自虐というか。戦争中の歌でもかなり賛美する歌が多いでしょ。公(おおやけ)に対するこういう歌を作るのが、我々だとなかなか動機がわからない。河野裕子さんも斎藤史の鑑賞をしたときに、そういう歴史的な歌がわかりにくいと言っていて。河野さんはごく日常から発想するのに対して、斎藤史さんは歴史に重ねて歌というのはあるべきだというふうに思っていたようなんだけど、その辺の歌う動機の違いが結構おもしろいなと思ってるんですよね。

吉川 今だからこそあの二・二六事件のときの歌だってなるんだけども、当時の東京ではそんなに大事件と思ってなかった人もいたらしいんですね。情報統制されていたから、一般庶民にはそんな歴史に残る出来事と思ってなかった人もいたわけです。もちろん斎藤さんは軍人の一族だからいろいろな情報を知ってたと思うんですけども。だからこの歌も今振り返ったときにはすごく象徴的だなあと感じる歌なんだけれども、当時の読者の印象はまた違うんでしょうね、きっと。そのときにはまだどういう事件か、全体像がわからなかっただろうと思いますからね。調べてみるとおもしろいと思います。

◆どのように歌が作られたのか ~現代~

吉川 では、次に最近の新しい歌について、話を進めたいと思います。

栗木 堂園昌彦さんの『やがて秋茄子へと到る』。堂園さんは三十代の歌人で、数年前に出された第一歌集です。

映画の話をしたりされたり暁の指の間に地獄があるね

この歌、「映画の話をしたりされたり」っていうところが好きなんですよね。「二人で映画の話をしてる」と表すんじゃなくて、「したりされたり」っていうところ。自分の好きな映画の話をすると、相手の方も、いや、こんな映画もおもしろいよみたいなことをしゃべってくれる。それが小説の話とか短歌の話じゃなくて、映画の話っていう。そこがとてもいいなあと思うんですね。
「暁の指の間に地獄があるね」というのが、何か惹かれるんだけど、読めば読むほどよくわからない。「暁」はまあわかりますけどね、明け方。明け方の「指の間」。人差し指と中指の間なのか、私の指とあなたの指の間なのか。それとも、例えば、自分の右の足の親指と左の足の親指の間なのか。だから、「指の間」は単純に言ってわからない。しかも、そこに「地獄」がある。全体にとても淡々とした言葉で綴られている中で突然「地獄」という言葉がわあっと出てきて、最後「あるね」っていう柔らかい口語のニュアンスでまとめる。最近の二十代、三十代の方の歌を読んでると、すごく淡彩の、淡いスケッチ風の歌の中に突然「地獄」とか「罪悪」とか、強い、それも凶暴な言葉がわっと出てくるところがあって。この歌は、指の間の地獄っていうのを読み切りたいなと思いつつ、でも読み切るとがっかりしちゃうかなみたいなとこもあったりして、お二人はどう読むのか聞いてみたいなと思ったんです。

吉川 花山さん、どうでしょう。

花山 いや、読めないです。堂園さんは、こういう、淡彩の中に「地獄」という衝撃的な言葉を使うような歌はわりと少なくて、上から下までわりあいにきれいな言葉で、文体でもってうまく持っていくっていう歌が多かったと私は読んでたんですけど、これは気がつかなくて。やっぱり指の間の地獄って何だろうっていう。どうでしょうね。私もちょっと読み切れないなあ。

吉川 ホラー映画の話をしてたのかな(笑)。やっぱりちょっと「地獄」というのは突飛すぎるなあという気はしますね。僕も堂園さんってもっと別の歌で好きな歌あるんですけども、この歌はちょっとわからなかった。

花山 珍しいかなって思ったんだけど。

吉川 謎というか、わからない部分を作りたいという意識はすごくあるみたいですね。まあ若い人に限らずだけど、人間というのは他人に自分のことを軽々しくわかってもらいたくないという意識もあって、それが歌の中にわかってほしくない部分を作ることにつながっているんじゃないかな、という気がします。
多田道太郎さんが、松本清張の『黒い画集』という本の解説に書いていたんですけど、今の管理社会は何でも自分を透明化しないといけないわけでしょう。その中で、どこか自分の中に透明にならない部分を作りたいという欲望が生まれてくる。清張の小説に描かれているのは、そういった闇を求める人間が生み出した罪悪なんだと指摘されていて、とても印象的だったんです。今はそれがもっと進んでいて、データによって〈自分〉というのは管理されていて、管理者からは何でもわかっちゃうわけでしょう。そういう状況の中で、何か自分の中にもわからないものがあるんだということを訴えているような気はしますね。「地獄」といった名詞をいきなり入れてくることで、単純な理解を拒もうとする。大森静佳さんの歌もそうで、そういうわからない部分をどこかに持っておきたいという意識はあるんじゃないですかね。歌としてはちょっと成功してるとは思わないんですけども、そういう何か不透明な部分を作りたいという願望が今出てきてるんじゃないかなと思うんですけど、どうですか。

栗木 そこで「地獄」っていう非常に強くて観念的な言葉にいっちゃうっていうのがね。そういう自分でもわからない謎みたいなのは、例えば高野公彦さんだったら「地獄」っていう言葉を使わずに、その謎をもっと匂いやかなニュアンスで表すだろうなと思うんですよね。まあしょうがないのかな、そういうプロセスを経てだんだんに変わっていくというところなのかな。

吉川 関連して大森さんの歌もちょっと近いところあると思うんで。花山さん。

花山 はい。大森静佳さんの『てのひらを燃やす』の歌です。

把手(ノブ)に絡みついたままの暴力が指からゆびへわたすみずいろ

この「指からゆびへ」っていうところまで読んで、「わたすみずいろ」というすごくきれいな言葉で結ばれたときに、この暴力のイメージというのは何だろうと思ったんです。斎藤史さんなんかの「暴力」っていう言葉は軍とか公のイメージというのが強いんだけども、今、大森さんがこの「暴力」っていう言葉を使ったときに、なぜこれを使ったかという出どころがわからないんですね。だからいろいろに考えさせられちゃうというか。どういうレベルの暴力なのか。
河野裕子さんに、

荒あらと肩をつかみてひき戻すかかる暴力を愛せり今も     『ひるがほ』

っていう歌があって、愛情表現としての、荒々しいしぐさを「暴力」と言い替えていて、何を「暴力」って言っているかがとてもはっきりしているんです。大森さんの歌、「把手に絡みついたままの暴力」って言ったときに、やっぱり現代の人の何かイメージがきっとあるに違いないので、さっきの「地獄」というのも全くただ難解にするために使っているとは思えないのよね。そこに独特の時代的な、ある個人的なイメージがあって、それがなかなか受け渡されないために読めないっていうことがあるのかもしれない。その一つの言葉の範囲とか、イメージが違ってきているということがあるのかなと思うんですよね。

吉川 何か蛇のような感じがしますね。蛇みたいに何か「暴力」が把手にぐるぐる巻いてて、それが触ると入ってくるというか、そういうイメージ。

花山 だけど、絡みついたままでありながら、「みずいろ」という非常に澄んだ美しいものになっているっていう、すごく不思議なもので。

吉川 肉体的な暴力とも違う感じですよね。どうですか、栗木さん。

栗木 堂園さんの歌の淡さの中に「地獄」だけが屹立しているのと同じような作り。絡みつくというあたりはややニュアンスが強いんですけれども、それでも全体的に、「指からゆびへ」の指の表記の使い分けなんかもとても繊細ですよね。例えば指紋みたいな、目には見えない暴力性のことなのかな。指紋って本人を特定する大きな要素になって、物すごく動かしがたいものなんだけれども、目には見えない。そういう物への怯えみたいなものかな。でも、そこに「暴力」っていう言葉を使ったのがベストであったかどうかっていうのはちょっと私はわからない。

吉川 「暴力」っていう言葉も質が変わってきたんでしょうね。肉体的な暴力以上に精神的な暴力の方が、切実な問題として受け止められている。時代的に「暴力」という概念が変わってきていて、そのことが歌を並べるとはっきりわかる気はしますね。

花山 今までだとそういうのがある程度ずれたりしてもわかってきていたとすれば、今急に、一つ一つの言葉の使い方がわからなくなってきたってことだろうか。私はそういうふうには思ってなかっただけにちょっと考えるところがありますね。

吉川 僕はさっき言ったように、どこか逆に作者の方でわからない部分を作りたいという意識はあるような気がするんですけどね。

花山 でも、わからない部分を作りたいという動機だけだと幾らでも恣意的に作れちゃうということになるけど、それはあまりにも範囲が広すぎてしまう気がして。やっぱり自己動機はあると思っちゃうんですけどね。

吉川 すごく難しい問題になってきますね。
最後に、僕の方で水原紫苑さんの歌を最後に話したいと思うんですけども、

直(ただ)に逢はず扇もて逢ふつたなくも舞へば満ち来るわがうちの君
『光儀(すがた)』

自分の恋人が能楽師、能を舞う人で、その方が亡くなったんですね。それで、「直に逢はず」というのは、万葉集にもあるんですけども、亡くなっているのでもう直接には逢えないと。だけど、扇を持って逢うと。つまり、亡くなった人が舞っていた舞を自分も扇を持って舞うと、亡くなった人の記憶が蘇ってくるというか、体でつながるというか、そういう経験が歌われていて、これはすごくいい歌だなと思いました。死者と同じように体を動かすことによって思いが伝わるという、すごく深い歌で。水原さんの歌って結構難解な歌も多いんですけども、わりと根源はすごくシンプルな思いってのがあるんじゃないかな。栗木さん、これはどう読まれますか。

栗木 扇って古典の世界では独特なアイテムで、例えば山中智恵子さんが最愛のご主人を亡くしたときの歌に、

きみなくて今年の扇さびしかり白き扇はなかぞらに捨つ      『星醒記』

というのがあるんです。中空に白い扇を捨てたというね。扇って男女の契りの象徴みたいなもので、「源氏物語」の「花宴」でも光源氏と朧月夜が宮中の花見の夜に一夜の出会いをしますよね。慌ただしい逢瀬の後に、名前も名乗らないのに扇だけを二人が交わす、そして別れる。だから、源氏の話とか山中さんの歌とか、あるいは「班女」っていう、扇にまつわる恋に狂う女性が出てくる狂女物の能とか、そういったものがこの歌の扇の中には個人的な扇とともに全部集約されてるのかなという感じがします。
でも、水原さんの歌って、そういう古典の知識を投入して読まないと不正解みたいに言われて敬遠されがちだったんだけど、この歌はそういうことがなくても、リズムがいいですよね。「直に逢はず」、初句六音で切れて、それで「扇もて逢ふ」、ここでもう一回切れて、「つたなくも舞へば満ち来る」で小休止を置いて、「わがうちの君」と続く。切れながら、多少字余りで乱れながら一本につながっていく調べ。そこはやっぱりとても見事な挽歌になっているなと思いますね。

吉川 「つたなくも」がいいですね。「つたなくも」って、自分は相手の人みたいにうまく舞えなくて下手なんですね。でも、下手なんだけども一生懸命舞うと、蘇ってくるんですよね。すごく素直な、素朴なところから歌われているのかなと私は思ってるんです。

花山 私、全体の印象で言うと、ばっちりしすぎてる気がするのね。この「つたなくも」で終わったら、いいなあと思うんだけど。「直に逢はず扇もて逢ふつたなくも」って言ったら俳句ですが、すごく余韻が残る感じがして。「舞へば満ち来るわがうちの君」まで言い尽くしちゃうと。

吉川 でも、やっぱり「満ち来る」が言いたかったんじゃないですか。ここはどうしても歌いたかったんじゃないかな。自分の中に恋人が満ちてくる至福感を。そのあたりはいろいろ価値判断分かれるところでしょうね。私は甘いかもしれませんけど、そのあたりはすごく共感して読んだなあ。

◆終わりに

吉川 というところでぴったり時間通りに終わりそうなんですけども、言い残したことがありますか。

花山 「歌が誕生するとき」っていうことなんですが、暴力的に歌が誕生するときってあるのね。で、そういうのが後々わからないけど印象に残ったりするというか。一方で、自分の方が引いて、すごく受容的に待っているときに誕生する歌もあれば、さっき永田さんが言っていたような、相手に贈る歌っていうのもあるなといろいろ思ったんです。

栗木 自分の歌について自分で語るってやりにくいところがありました。花山さんの歌の作り方が初期の頃と最近では随分変わってることがわかったり、吉川さんの「雨」に対する思いがあんまり変わってないなとか、変わってる部分と変わってない部分があって面白かった。それも常に変えることだけがいいのではなくて。「特定のこの言葉へのシンパシーは初期の頃から変えたくない」みたいな、そういうこだわりはそれぞれが大事にしていってもいいのかなということを思いました。

吉川 どうもありがとうございました。(拍手)

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