青蟬通信

土地に密着した言葉 / 吉川 宏志

2015年9月号

 山口県の仙崎という町に行った。金子みすゞの生まれた町である。日本海に突き出た小さな岬で、三方をぐるりと海に囲まれている。岬の先端には橋が架かっていて、そこを渡ると青海島という大きな島につながっている。八月の初めだったので、日差しが厳しく、歩いていると目がくらくらとしてきた。だが、秋になれば、気持ちのよい潮風が吹いてくるのだろう。
 金子みすゞの詩は、テレビのCMにも使われ、非常にポピュラーになっている。「みんなちがって、みんないい。」「こだまでしょうか、いいえ、だれでも。」などのフレーズが有名になりすぎて、やや教訓的に感じている人も少なくないのではないか。
 明るく、軽やかな言葉。しかしその一方、金子みすゞの生涯は、悲劇的なものだった。夫に虐待され、詩作も禁じられてしまう。離婚をするが、娘の親権を奪われそうになる。それに抗議するために、二十六歳で自殺。その死と引き換えに、娘は祖母に育てられることになったという。作品と、人生のあまりの落差に、目まいのようなものを感じる。
 先ほど書いた青海島には「通(かよい)」という漁村がある。昔は鯨漁が盛んだったところだ。湾に入り込んできた鯨を、大勢の漁師で取り囲み、銛などを使って仕留めた(資料館には、赤く錆びた銛がいくつも展示してある)。海は鯨の血で染まったそうだ。
 生きるためとはいえ、鯨を殺すことに、人々は罪悪感を抱いていた。村の高台に、向岸寺という寺がある。鯨の位牌や過去帳があり、鯨法会(ほうえ)も行われているという。みすゞの父は、この寺の檀家だったので、彼女もたびたび訪れていたそうだ。「鯨法会」という詩は、地元ではとても有名であるらしい。
 
  鯨法会は春のくれ、
  海に飛魚採れるころ。
  
  浜のお寺で鳴る鐘が、
  ゆれて水面(みのも)をわたるとき、
  
  村の漁夫が羽織着て
  浜のお寺へいそぐとき、
  
 これが前半なのだが、漁村の匂いのようなものが立ちのぼってくると思う。懐かしい潮臭さがある。
 「ころ」「とき」が繰り返されることで、鯨を鎮魂する時間がじょじょに近づいてくる様子が伝わってくる。「ゆれて水面をわたるとき」は平明な言い方だけれど、春の海のやわらかな表情を感じさせる。
 みすゞの詩は、ローカルなものだったことに気づかされる。言葉に土地の持っている空気が含まれている、と言えばいいか。「海に飛魚採れるころ」といった表現にも、その土地に流れている時間の感覚がこもっている。そういった土地と言葉の結びつきは、実際にその場に行ってみると、とても鮮やかに感じられる。
 逆に言えば、そうした土地の匂いから切り離されることで、みすゞの詩は、大きなポピュラリティーを得たともいえる。テレビなどに彼女の詩が登場するときは、誰にでもどこにでも当てはまる言葉として用いられる。民謡だった曲が、メジャーになることで洗練されていき、土臭さがなくなっていくこととよく似ている。だが、詩の本当の味わいは、生活感のある風景と密着した言葉から生まれてくるのではなかろうか。
 「鯨法会」の詩はこう続く。
  
  沖で鯨の子がひとり、
  その鳴る鐘をききながら、
  
  死んだ父さま、母さまを、
  こいし、こいしと泣いてます。
  
 一見かわいらしいが、いくら法会の鐘を鳴らしても、親を殺された鯨の子の痛みは慰められることはないのだ、という視線がここにはある。鐘をつくことは、結局は人間の自己満足にすぎないのじゃないかしら。そんな疑念が、やわらかな言葉の背後に存在している。
 子を遺して死ぬ鯨は、金子みすゞの運命と重なり合っているようでもある。彼女の明るく優しい言葉には、影がひっそりと寄り添っている。

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