短歌時評

短歌甲子園二〇一三 / 梶原 さい子

2013年11月号

 八月二十一日(水)~二十三日(金)。盛岡市にて、全国高校生短歌大会、通称、短歌甲子園が開催された。大会は、今年で八回を数える。参加は、北海道から九州までの、予選を勝ち抜いた三十六校。数日前に集中豪雨によって大きな被害を受けた盛岡市だったが、当日はよい天気となり、市内の啄木ゆかりの地を巡っての題詠ツアーから大会が始まった。
 この大会で目にする歌は、すべてが題詠だ。それは、事前に準備したものでなく、その場で詠む歌によって勝敗を決するという大ルールを成り立たせるためである。そして、三行書きで書かないと、なんと、失格になってしまう。三行書きは、啄木にちなんでの大会だというところを強調するためのものだ。
  目を隠す重い前髪切りすてて
  ふわり
  あなたに笑いかけよう  布谷みずき
 準優勝した秋田高校の三年生の歌。「失格」などというと怖いような気がするけれど、いやいや、生徒達は、このルールを逆手にとり、効果的な列の配置を考えてくる。「ふわり」だけの二行目は、やはり、印象的だ。三行書きと言うのなら、四の五の言わず乗っかってしまえ。スケールの大きい遊びをみんなでしているような雰囲気が、この大会にはある。
 今回、関わってみて、思ったことが二つある。ひとつは、八年目を迎えるということの意味について。歴史を積み重ねることによって、大会は広く知られるようになった。また、雰囲気も開始当初よりぐっと締まってきたという。そして、多くの「卒業生」が存在するようになった。実際、彼らは遠くからでも見にやってきた。そして、旧交をあたためたりしていた。その中には、今、大学生や社会人になり、短歌会や結社に所属している人たちもいる。年齢で言えば、二十代前半。大会の思い出を熱っぽく語る彼らの話を聞きながら、そこを出発点として広がっていく世界があることが実感を持って感じられた。大学短歌会の活動が盛んだが、その理由の一つに、この大会の存在もあるだろう。
 もう一つは、歌の多様性ということについて。試合では、審査員からの質問にも答えなくてはならないのだが、ある対戦において、「どういうことを心掛けて歌を作っているか」と問われたのに対して、一方は、「ありきたりの表現が嫌。だから、表現にこだわる」と言い、一方は、「実体験を入れる」と述べた。それは、それぞれ、迷いのない、明確な答えだった。その様子に驚いたのと同時に、同年代の人達が作る歌だからこそ一色にならないことが大切だと感じた。特別審査員の小島ゆかりも、小島ゆかり賞として、
  ササニシキ重いと言わず肩に乗せ
  お客さんへと
  誇りを届ける  小牛田農林 安田佳樹
を選び「言葉の後ろに肉体がある」と述べたが、この歌を掬い取ったことは、高校生達に対するメッセージだったと思う。題詠即詠ということもあり、表現はうまいがなんとなく抽象的な歌が多く出てくる中、このような歌もあることをしっかり覚えていて欲しいという。同じ題の歌にて対戦する一番の醍醐味は、自分とは違うところに立つ歌がある、それを目の当たりにすることだ。
 優勝は、北海道旭川商業高校。男子一人、女子二人のチームであるが、真っ先に男の子が泣き出したのが印象的だった。その彼が閉会式で言ったのは、短歌が自分を成長させてくれたこと、詠み続けたいということ、そして、みんなと短歌についていつかまた語り合いたいということだった。
 夏の終わり、盛岡も暑かった。新幹線の中、疲れて眠る高校生の姿があった。

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