短歌時評

短歌と「私」 / 荒井 直子

2010年3月号

 二〇〇九年十一月二十五日付の朝日新聞に、詩人・谷川俊太郎のインタビューが載っており、詩人のこんな発言に思わず立ち止まった。「『詩は自己表現である』という思い込みは、短歌の伝統が色濃い日本人の叙情詩好きともあいまって一般には非常に根強い」。私はこれまで、短歌は自己表現だと素直に信じて歌を作ってきたので、それをはっきりと「思い込み」と言われてすっかり面喰らってしまったのだ(それに、そもそも短歌の伝統とはそんなに日本人の精神に色濃く影響しているものだろうか?)。

 だがちょっと考えてみれば、この言葉は、これまで多くの歌人たちによって繰り返し議論されてきた、短歌における「私性」の問題につながっているということに気付く。思えば近代短歌はその黎明期において、ほかの誰でもない「私」の歌をうたうということを言挙げして旧来の和歌からの脱却を図ったのであり、それがやがて文壇の自然主義思潮とも相まって単なるトリビアルな事実の報告にまで堕するに至って、前衛短歌はさかんに私性論議を行い、従来の事実主義的な「私」とは違う〈私〉を開拓しようと模索してきたのであった。例えば寺山修司は、「間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子」(『田園に死す』)と、実在しない弟をある種の典型として提示することで、間引きという故郷における忌まわしい原体験をえぐり出すように歌い、岡井隆は、「ナショナリストの生誕」という連作で、「最もちかき黄大陸を父として俺は生れた朱(しゅ)に母を染め」(『土地よ、痛みを負え』)というふうに、「ナショナリスト」なる人物の自叙伝の体裁をとって歌うという試みを行った。

 しかしながら、「ただ冗漫に自己を語りたがること」をさげすんだ寺山にしても、「所詮、短歌は〈私性〉を脱却しきれない私文学である」という「無気力な受身の肯定」を拒否した岡井にしても、その作品の裏側に作者である自分がいること自体は否定しているわけではない。つまり、作者である生身の「私」と作中の〈私〉が完全なイコールではないというだけで、彼らの作品も自己表現ではあるわけだ。

 それでは、作者の心情を含まずに風景だけを写しとった叙景歌はどうか。例えば、正岡子規の有名な一首「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり」(『竹の里歌』)は、机の上に活けられた藤の花を見たままにうたった歌であるが、花房の先端と畳との間の空間に目を留めて、「花房が短いので畳に届かないなあ」と感受したその感覚はほかの誰でもない子規の中に起きた認識であり、全く同じ藤を見たとしても、他の人なら違う部分を見て違うふうに歌ったかもしれない。その意味では叙景歌といえども、やはりその作者固有の認識を表した自己表現なのだといえるだろう。

 畢竟、短歌は作者である「私」から完全に離れることなどできはしないのだ。詩人の言葉に惑わされて余計なことを考えるのはもう止そう。谷川は先の引用部分に続けて、「美しい日本語を、そこに、一個の物のように存在させることを目指している」と語り、自身の『ことばあそびうた』から、「はなののののはな はなのななあに/なずななのはな なもないのばな」を引いている。確かにそれはリズミカルで美しい詩句だが、もし歌集にこのような歌が三〇〇首並んでいたとしたら、とても読み通せまい。短歌は(二三の例外はあろうが)自己表現の詩である。ただ、その「自己表現」が、単なる事実や刹那的な心情の垂れ流しではなく、普遍的な真実にまで届くようなものであることを目指したいと願う。

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