短歌時評

森岡貞香の追悼記事から / 澤村 斉美

2009年6月号

 一月三十日に亡くなった森岡貞香の追悼記事が各総合誌に掲載されている。どの文章にも企画にも「語り尽くせない」という雰囲気があふれていて読み応えがあった。

 歌人が生きている間は、なぜかその本人について話しにくい。歌の背後にちらちらと見える人間性や生い立ち、人物交流史などを堂々と参照すれば歌がより深く読める場合もあるものを、ちらちらと見える手がかりを私たちは一生懸命見ないようにして歌を読む。この妙な(時に涙ぐましい)骨折りは何だろう。そういう読み手のデリカシーは必要でもあり、しかし、歌の理解を狭めることもあるだろう。人間まるごとが読むべき対象となる短歌(歌人)のあることを、このたびの追悼記事を追いかけながら改めて思い知っている。

 さて、各記事から、「森岡貞香」のこれからの読みの方向が見えてくることを面白く思った。『短歌現代』四月号の花山多佳子「再見 森岡貞香さん」、同号掲載の小高賢による歌壇時評、『歌壇』五月号の佐佐木幸綱の追悼文「美人・難解・戦後派」、『短歌研究』五月号の岡井隆・馬場あき子・篠弘による追悼座談会をここでは参照したい(注・総合誌の追悼企画としては『短歌』三月号が最も早かった)。

 小高賢は、どちらかといえば森岡作品を読むのは苦手という立場から、「きつちりと手袋はめしわがまへに胴黒き電柱立ちてゐたりき」「舗道は透明となりいてふ裸木の歩きくるときわれはとどまる」を歌集『未知』から引き、「なぜこういう作品を作るのかという地点が見えてこない」ことを難解さの理由として挙げる。佐佐木幸綱は、難解とされるのは「具体的な事実・具体的場面の痕跡がていねいに消されている」からだとした上で、そのように歌うことを選んだ動機を、終戦後間もない歌壇の状況に求める。つまり、近藤芳美、宮柊二ら男性歌人の、戦争体験や戦後の時代社会の具体的な場面をうたうという方法に対して、女性独自の戦後短歌を構築しようとしたのだ、と推測する。また、『短歌研究』の座談会では、森岡と葛原妙子との影響関係を解くべきことが指摘されている。これらの指摘は、戦後の歌壇における影響関係をつぶさに読む必要がある、という課題を示しているだろう。

 さらに、森岡論は「独特の文体の難解さ」という入り口からもう少し踏み入ったところへ、すでに入っていける気配もある。 花山多佳子は、第一歌集『白蛾』から「薄氷の赤かりければそこにをる金魚を見たり胸びれふるふ」「月させば梅樹は黒きひびわれとなりてくひこむものか空間に」を引き、「『私』がアプリオリに在るのではない、こうした危うい実存的な感覚は、戦争体験を通して出現したものだろう」と述べて、森岡の「戦争体験と実存」というテーマへの着目を促す。『短歌研究』の座談会では、『珊瑚数珠』の中の一首、

  ゆふまぐれ二階へ上る文色(あいろ)なきところを若(も)しかして雁(かりがね)わたる

がひとしきり話題になる。私は以前この歌を、森岡の境涯を参照して、亡き夫を恋う歌として読んだことがあったが、どうもそのように性急に答えを求めない方がよいようだ。「文色なきところ」とは一体どこなのか。こういう、すぐには具体に結びつかない句の不思議さを、損なうことなく読み解くことはできないものか。森岡貞香が座談の名手であったことに触れて、「人間の滑稽さ、愚かさ、それもね、大きな時代の流れにまき込まれて、七転八倒している人間を滑稽だと客観している目が森岡さんにはあるわけ。自分もその中で七転八倒しているのに、『人間っておかしいのよね』という目があってね」と語った馬場の言葉が印象に残る。森岡貞香の言葉の使い方、それを形づくった彼女の歴史というところまで降りてゆくことを、読者はすでに許されている。

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