短歌時評

歌人研究 / 梶原 さい子

2013年7月号

 今年は斎藤茂吉の『赤光』が刊行されて百年、北原白秋の『桐の花』も同じく。それから、近藤芳美生誕百年、寺山修司没後三十年、木俣修没後三十年等々の年である。膨大な歌が読み流されていくなかで、このように生誕後、没後、刊行後何年と区切る方法は、もはや、その歌人、歌集を思い起こし、振り返るための必要なシステムとなっている。それは、本来、自己の内的必然性によってなされるべきことなのだろうが、何しろ忙しく、何しろ周囲にある情報は多すぎる。ならば、このような機会をどう掴まえる自分であるかという点が、ひとつ、大切なところとなってくるのだろう。
 「歌壇」五月号には「歌人研究は今どうなっているか」という特集があり、歌人研究を続けている研究会の様子や業績が記されている。その多くも、生誕何年、没後何年という区切りをきっかけとして始まった会だ。尾上柴舟の「柴舟会」は没後二十年、木俣修の「木俣修研究」は生誕百年。また、「佐佐木信綱研究」は、没後五十年である今年、創刊される。
 それは、その切れ目となる時を、単なる思い出語りで終わらせずに、新たな出発点として捉え直したということだ。多くは、研究の成果を、薄めの定期的な冊子として残している。歌人研究というのは、基本的に「過去」を見つめるものであるが、そのような冊子が積み重なる嵩を未来へ向かって幻視してみる。そういう、ある意味、楽天的な時間のあり方が必要なもののような気がしている。
 「歌壇」の同号では、岡野弘彦への十三回のインタビューが完結した。師である折口信夫についての話が毎回とても面白かったのだが、最終回の話の中で興味深かったのは、「かえって、先生と接しなかった、これから全集で自由に読んでいかれる人たちから折口学の本当の生き生きとした展開は生まれてくるだろうと思います。」という発言だった。「だから、そういう未来の本当に力のある人のために、書簡であろうと日記であろうと残すべきものは丹念に忠実に残しておくことが大事なのではないか。」と。
 ここには、先の先を見るまなざしがある。今の自分がすべてを判断する必要はない。むしろ、いつかの誰かが目を止める時のための営みとなることを目指す境地が。そして、自分の役割を知り抜きながら果たし、手放す清々しさがある。研究とは、畢竟、どの研究も共同研究と言えるのではないだろうか。誰かの調えた資料を元に、誰かの言葉を受けて、自分の考えが生まれる。それをまた、未来の誰かが受け取るかもしれないという繋がりにおいて。そして、また、一方で思うのは、その人物のさまざまを知っている人たちが存在し続ける期間というのは、案外短いのではないかということだ。
 鈴木竹志の『高野公彦の歌世界』が刊行されている。高野公彦は朝日歌壇に投稿し、宮柊二に歌を採られたことがきっかけでコスモス短歌会に入会しているが、この本では、それらの歌と、入会後に宮に選を受けて掲載された歌について、後に歌集に収めた歌との異同を一つずつこまやかに調べて挙げてある。丹念に拾うだけでも見えてくるものがあり、これもまた、大切な基礎資料となるだろう。そこに感じられるのは、高野公彦への情だ。静かな熱だ。歌人研究とは客観性の中にも、そのようなものがにじみ出てきてしまうものでもある。そして、実作者でもある追う側に、何らかの変容をもたらす。
 さて、高安国世生誕百年。そして、六十年目の塔。様々な企画があり、様々な歌に触れる機会がある。そこに居合わせる自分を、どう捉えるか。

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