百葉箱2026年8月号 / 吉川 宏志
2026年8月号
AIが数へしといふ地球の木三兆分の一本に座す
岡本 妙
本当かなとも思うが、全てが情報化される現代の中で、目の前の一本の木と向き合っている。
早咲きの薔薇のアーチをくぐり抜け海と曇天のあはひを探す
竹尾由美子
海と曇りが溶け合うような情景。動詞「探す」が良い。
空席を取れず吊り輪に吊される 闘争に破れた見本のように
徳田浩実
電車の吊り輪を握っているだけの場面だが、オーバーに自虐的に歌われ、妙に面白い。
ナビの言ふとほり走りて唐突に腹切坂の現るる午後
堺 礼子
「腹切坂」の地名のインパクト。熊本にあるらしい。
遺影にせむ君の思ひを知りながらテーブル越しにカメラ受け取る
仙田篤子
心の機微をこまやかに歌い、哀感がある。下の句の動作の具体性により、臨場感が生じた。
風呂蓋を星のかたちに立てて干す君のふとももおさながいだく
浅井文人
上の句、気づきにくいところを視覚的に捉えている。下の句から家族の温もりが伝わる。
会う事は無かりし姉が居た事を月子と言うと聞かされるのみ
河田潮子
第三句で切って読みたい。「月子」という名が印象的。
輪郭がわからなくなる 働いていないと鏡はそれほど見ない
toron*
他人と会わないと自分の顔を細かくチェックしなくなる。この気づきには深い生の実感がある。
宇宙桜という木が五本、種のとき宇宙飛行士と共に旅せし
井上美佐子
ユニークな題材。「共に旅せし」が簡潔で良い表現。
もうぬるい風に変わっているいつも春とは海からやってくるもの
真木 轍
第三句の句割れが珍しい。リズムが柔軟で広がりのある歌。
琴爪の剥がれ止めとて演奏会に姉は卵の白身を持ち行く
丸山 恵
事実だけを描いた歌だが、姉の姿がリアルに目に浮かぶ。
紙の音 日記を毎晩書く人と暮らせば夜は風だと気付く
古井咲花
初句切れが印象的。日記帳の紙の音を、夜の風のように情感深く聞いているのだろう。
歯ブラシが死んだ毛虫の仲間入りそれでも口の中でもぞもぞ
川崎雅昭
かなり気持ち悪いが衝撃的な歌。「ような」を使わず「仲間入り」と表現したのが面白い。
対岸の桜を無口な君と見る石のベンチの冷たさを分け
丸山かなえ
会話は少ないが、季節と場所を共有している感覚が結句から伝わり、心に沁みる歌だ。
発信は我が名しかない夫の電話清めてそつと仏壇に置く
小谷淳子
夫は自分だけとつながっていたという思い。哀切な一首。
旅人のような顔して訪れる古民家カフェになったわが家を
塩田直也
珍しい独特な状況を淡々と歌い、温和なユーモアがある。
「生前」と「生後」のねじれを思いたり香炉を前に増す胎動に
山桜桃えみ
上の句はよく歌われる内容だが、妊娠中に葬儀に行く場面が、強い説得力を齎
栃の実が落ちる音初めて聴いたのは君と旅した九月
上月素子
上の句の具体が良く、みずみずしい情感が伝わってくる。
花は落ち茎だけ残ったチューリップ一年生も五時間になる
西村みのり
春が終わる頃、小学一年生も五時間授業が始まるのだ。季節の移りを新鮮に捉えている。
引き上げし毛布の隙に忍び込む窓ガラス越しの朝の冷たさ
古性知
冷気を繊細に捉え、作者の皮膚感覚の鋭さが印象に残る歌。