八角堂便り

中院通茂卿のこと / 真中 朋久

2026年8月号

 徳川光圀『常山詠草』を読むと、京都の公家方の「関東下向」の折に直接対面したり、手紙(歌)のやりとりをしていることがわかる。その一人の中院通茂卿について、調べればどういう人物か、ある程度はわかるのだが、書いたものや作品を読むのは難しい。
 堂上和歌の中心人物で、家集『老槐和歌集』があるが翻刻されていない。写真版のデジタルデータはあちこちにあるが、その当時の手書き文字を読むのはハードルが高い。作品をまとめて読むことはあきらめて、あれこれ検索する。まず、福留瑞美「備前岡山藩池田綱政の和歌修練③延宝三年中院通茂添削の池田綱政詠草を中心に」(「國文学」関西大学、Vol.109,2015年)というものが出てくる。これは以前に読んで、なるほど岡山藩主の池田綱政は熱心に和歌の勉強をしていたのか、と思ったものだが、添削者が通茂だった。藤原定家『拾遺愚草』の注釈や、やはり定家の(ではなく「仮託」)『未来記雨中吟』についての講義録的なものが残されていて、それを紹介・翻刻している論文も面白いのだが、常吉幸子「近世貴族の〈判断力〉—寛文二年『中院通茂日記』より—」(「活水論文集」活水女子大学・現代日本文化学科、53巻。2010年)という紀要論文に行き当たる。
 江戸幕府の誰がどんな仕事をしていたのかもよくわからないが、京都のお公家さんたちの仕事はなおわからない。紹介されているのは、伊勢神宮の別宮の一つである伊雑宮をめぐっての「先代旧事本紀大成経」なる偽書を根拠とした訴えに対して、ぶれることなく的確な判断をしていることである。裁定が下ったあとも、訴人らの暴走は止まらず、偽書の流布も続いたらしいが、ともかく中院通茂をはじめとする公家たちの判断力を強調する。面白いのは、その判断力を「和歌の世界で『歌合』とともに磨かれたものではないか」というあたり。「趣味的で、超越的な『美的判断』」は、現実世界の中でも、利害や情に流されず、論理的な整合性や信頼できる記録に基づいた判断をすることにつながったのか。
 ほんとうか。私たちの歌の批評はどうか。そんなことも考えさせられる。
 ところで、一般には「なかのいんみちしげ」とルビを振られるが、熊谷武至によれば「みちもち」が正しいという。その熊谷武至の『疏懐集』には「陳思」と題する九首があって、その前半から。
  七十路ななそぢを親を越えしとも祝はれし通茂にして八十路やそぢ迎へき
  七十路ななそぢの賀の歌よせし高門も年へて遠き一人なりけむ
 享年は数えの八十歳。七十歳の祝いに光圀は特大(七十匁=約260g)の饅頭を百個送ったという。京都の虎屋に注文書が残っている。その光圀も十年後にはこの世にはいなかった。

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