野村望東尼の生き方 / 栗木 京子
2026年7月号
野村望東尼(のむら・ぼうとうに)は文化三年(一八〇六)に生まれて慶応三年(一八六七)に逝去した幕末の歌人。女性勤王歌人として知られる。彼女の後半生を描いた小説『きみがなきあと』を、このたび木内昇氏が講談社から出版。それを記念して「短歌研究」5+6月号で氏と対談する機会を得た。
望東尼は福岡藩士の妻として家族をまとめながら、和歌や書道に親しむ生活を送っていた。しかし五十四歳で夫を亡くして出家する。そして夫の遺した和歌を歌集にしようと、歌の師である大隈言道を訪ねて大阪に行った。そのことが彼女の運命の転機になる。背景にあるのは、浦賀や長崎への黒船来航、安政の大獄、桜田門外の変、寺田屋事件、禁門の変、大政奉還へと移り変わる激動の時代である。国の内外に大きな嵐が吹き荒れていたわけだが、長州や薩摩ではなく福岡藩の藩士の妻で、しかも剃髪した身である彼女が、なぜ尊王攘夷運動に関わってゆくことになったのか。例えば、二〇一五年にNHK大河ドラマ『花燃ゆ』で主人公になった杉文(すぎ・ふみ)は吉田松陰の妹で、久坂玄瑞(松下村塾では高杉晋作とともに「村塾の双璧」と称された人物)の妻となった女性であった。家族を通して否応無しに渦中に巻き込まれてしまったヒロインと言える。
しかし望東尼の場合は、点々が線へとつながってゆくように、人と人との出会いが彼女の心の新たな火種となり、勤王の志士たちとの交流の輪が広がっていった。五十代の彼女にとって、高杉晋作をはじめとする若者はどのような対象だったのだろうか。そのあたりのことを、対談の中で木内氏が「推しを応援するような気持ちだったのでは」と考察していることが印象的で、「推し活」はまさに言い得ているなあと思った。高杉晋作のような一本気で才気あふれる人物(そのぶん協調性に欠けるところもある)が、望東尼の「推し」であるところが面白い。
結核のため志なかばで命を落とす高杉は、最期に、
面白きこともなき世を面白く
と詠む。それに対して望東尼が、
棲みなすものは心なりけり
と下句を付けた。自嘲的で散文的で含羞を含んだ高杉の上句は、これはこれで悪くないが、望東尼の下句が付くことによって人生的な深みが出たと言えよう。
慶応元年(一八六五)、望東尼はスパイ疑惑をかけられ、姫島(玄界灘の島)に流罪となる。このとき六十歳に近い。島の獄舎での暮らしは十ヶ月ほどだが、過酷な日々であった。しかしその間も、旺盛に日記や和歌の創作を続けている。書くことが彼女の命を支えたのである。
ともあれ、小説『きみがなきあと』は内容が深く文章がうつくしく、心に沁みる一冊。ぜひお読みいただきたい。