百葉箱2026年6月号 / 吉川 宏志
2026年6月号
自転車で行けない場所には行けないと思いいし日を青春と呼ぶ
逢坂みずき
行動範囲の狭さに後で気づくが、それでも若い日は輝いていたと思う。リズムも軽快。
大陸を駆け抜けてきた春風が六百円の傘うらがへす
金治幸子
上句の壮大さと、下句の卑近な物との対照が面白い。
渇水にダム底の村あらわれて道路に残る速度表示30
村上春枝
結句の具体性で、廃村の様子がリアルに目に浮かぶ。
港湾のほのかな匂ひをはこびをり運河はしづかな逆流の刻
三上糸志
硬質な韻律により、海の気配が陰影深く描かれている。
耳遠くなりたる夫に声かける振りむかなくても沈丁花薫る
山口絹子
反応はなくても、同じ匂いを感じているはずだと思う。夫との距離の揺らぎに味わいがある。
売り場にて値引きシールを貼る吾子の横に並びて海老を選びぬ
高山葉月
店で働く息子に近づく楽しさ。「海老」の具体性も良い。
全て終わり猪横たわる頭上には其処のみ切り取られしごとき青空
松山恵子
野で解体された後、雲の切れ目に青空が見えた。猪の魂が天へ還ったようだったのだろう。
がんばれのがんの字だけで苦しいの ゆつくり行かうよ ほら木瓜の花
中村みどり
癌の患者なのだろう。励ましの言葉にも傷ついてしまう。下の句が柔らかく優しい。
ジーンズのぬれもふくめて裏返すときポケットのしろさが垂れる
浅井文人
日常の動作を細かく見つめ、面白さが生じている。「ぬれをふくめて」など表現に工夫がある。
ボウリング場であなたが書いている名前の書き順が違う僕
姉川 司
「あなた」から見られた「僕」と、自己意識のズレを、リアルな場面の中で捉え、ユニーク。
吾が妻の呼び方問われ手紙では「君」と書きしこと思い出したり
小島順一
若き日の手紙だろう。時間の流れが寂しく、心に沁みる。
銃
瀧本倫子
人を撃つ兵のためらいを想像した。文体に緊迫感がある。
ウイッグをはずして清しくおりたれば突然息子
上田忠子
息子のショックと、見られた戸惑い。事実の強さがある。
枯草をいつぽん咥へて死にし鶏 知らなかつたおまへに口髭あるを
中原きみ子
鶏の細部を見つめ、死がなまなましく迫ってくる。
だるま市のだるまさまざま心臓の大きさほどの赤きを摑む
伊丹慶子
面白い場面を捉えた。「心臓」にハッとさせられる。
山面の木々の根元の雪溶けて春のさいしょのかたちはまるだ
尾関あずさ
木のまわりは円形に雪が溶けるのだ。みずみずしい発見が、素直な口調で歌われている。
隣席のツインテールが角刈りに化ける五駅を春に眠れば
月下菜乃子
別人に変わっただけだが、歌い方によって意外な面白さが生じている。「春」が効いている。
新雪にスーツケースの跡をつけあのね、私ね、東京へ行くよ
水谷千代子
雪国から上京したのだろう。下の句の幼さから、哀切さと不安感が伝わってくる。
場所取りの目印としてエビアンが狛犬のよう二本置かれて
佐復 桂
花見の場所取りのため、ペットボトルでシートを押さえているのだろう。比喩が楽しい。
通行人Aとして道の花束が風に揺られるだけを見ている
設樂モシカ
事故死の跡だろう。傍観者である自分を強く意識した歌。