太りがちな本たち / 永田 和宏
2026年5月号
わが家の玄関から階段にかけて本が積みあげられるようになってどのくらいになるだろう。屋内の移動ラック式の書庫だけでは足りず、庭にもう一つ書庫を作ったのだが、もうすでに満杯。あとはままよ、と、廊下と言わず階段と言わず、居住空間をどんどん侵食してゆく。
この混乱の責任の一端は、わが家の娘にもある。調べものがあると本棚から袋いっぱいの本を抜いて持ってゆく。しばらくして返しにくるのだが、本棚に返さず、その辺に積んでおくのである。
元の場所に返しておくよう時に注意もするのだが、持って行っているあいだに本が太って入らなくなるのよ、などと平然と言っている。それだけでなく、
外骨格もつごとく自立する本の鰓呼吸として頁はゆるむ
永田紅 塔二〇二六・四月号
などという歌を作って微笑んでもいる。
呆れもするが、確かに引き抜いた本を元の場所に戻すのは難しい。引き抜かれて自由になった本が太ったのか、残された本が、両側からの圧力がなくなって太ったのか、いつかしっかり調べてみたいものである。
邪魔になる中に小さく区切り積む肱がふれても崩れ立つ本
土屋文明『自流泉』
さびしかる立居の傍
田井安曇『弥勒』
どちらも本棚のなかに並べられた本ではなく、床に積まれた本だろう。生活のなかでもはや邪魔にしかならない本たちだが、なかなか本を整理しようという決断がつかず、ついつい溜めてしまう。
君とわれ互みに持てる『月語抄』二冊並べて住み始めたり
吉川宏志『青蟬』
新婚生活が始まったばかりの頃の歌である。たまたま二人が同じ本を読んでいた。『月語抄』は伊藤一彦の歌集であるが、そんな同じ本を二冊並べて「住み始めたり」。ささやかな幸福感が初々しい。
しかし、わが家もそうだが、夫婦で歌人となると、送呈される歌集が二冊になってくる。わが家は四冊送っていただいた方も多くおられる。ありがたいことではあるが、本棚はますます狭くなる。
本の数減らすにはよき晴れの日に棚から箱へ移す哲学
澤村斉美『竜の眠つてゐた跡』
止むをえず処分ということになるが、「本の数減らすにはよき晴れの日に」というところがまずおもしろく、かつ「棚から箱へ移す」のが「哲学」書であるというのが、絶妙に効いている。
ということで、最後にざれ歌を一首。
あの狭い棚には帰りたくないとてんでに寝そべる少し太りて
永田和宏