百葉箱2026年4月号 / 吉川 宏志
2026年4月号
石段にすわり鐘の音ききをれば足の先から翳りてゆけり
伊東 文
シンプルながら、音と光の明暗が混じり合い、美感がある。
ビニールの小さなプールに鰤がいる元気な頃の夫なら買うだろ
菊沢宏美
情景が愉しい。結句のユーモアの中に哀感がにじむ。
わが眸がはじめて海をみたときの気持ちを覚えていたかった朝
山川仁帆
初めて見た海の記憶は消えたが、自分の目は今も変わらない。自己の不確かさを思う歌。
人の死は職場の隅に語られて突然でありしことのみ聞こゆ
矢澤麻子
名前等は分からないが、切迫さが声から伝わったのだ。
われを消すスイッチ探す鬼がおりICUの枕辺冷えて
増田美恵子
死の接近を感じる状況。「われを消すスイッチ」が不気味で、インパクトがある。
その後ろに無尽の星をかくしつつ封印のごと昼の月あり
大地たかこ
昼に見えない星は、白い月が封印しているのだと捉えた。発想が新鮮で、豊かな空間性がある。
荒海にたまゆら射しくる光あり雲の裂け目のはるか奥より
森田敦子
クールベの絵のような雰囲気で、風景に奥行きがある。
朝の月みつけることのうまい子と芝生ばかりをみているわれと
浅井文人
空を見上げる子と俯く「われ」との対比に味わいがある。助詞「と」がよく効いている。
かの人は腹にコントラバスをあて漕ぎ出すようにAと鳴らせり
岩下 葛
演奏の様子をリアルに描く。「漕ぎ出す」が印象深い。
ひたすらに乾きゆきしか図工室に紙粘土製の馬の頭は
小守くるみ
紙粘土がいつのまにか乾く、時間の手触りを感じさせる歌。懐かしい情景が目に浮かぶ。
帰りきて朝に濡れたるシャツ脱げば背中の太陽一気に剥がる
中村浩一郎
結句に勢いがあり、肌のひりひりした感触が伝わる。
冬陽切りゆりかもめらの乱れ飛びぐらつとゆらぐ空もわたしも
牧田明子
鳥の多さに目まいを起こしたような感じ。「も」を重ね、倒置を用いた文体に臨場感がある。
出征の父の横顔照らしたる母の記憶に花火は訣
西川 修
母は、花火を見るたび、父との別れを語ったのだろう。戦争の悲しみが刻まれた、美しい一首。
ゆふかげは軒端くぐりて屋ぬちへと見つからぬもの捜すがとごく
和花
柔軟で揺らめくような韻律が心に残る。比喩も独創的だ。
一夜さを語り明かして別れにし捨て湯の硫黄にほふ雪道
石田和子
雪の温泉地で別れたのだろう。濃密な韻律に、情感が籠もる。
骨折の馬薬殺のニュースありリハビリ受ける足萎えの我
髙鳥ふさ子
「我」と馬の対比が明確な歌だが、自己の生への不安感が漂い、切実さが響いてくる。
小寒の日溜まり選び尉鶲
松山恵子
小鳥の姿を、簡明な言葉でいきいきと捉えている。
棚と棚の間が狭い図書館に徐々に身体を慣れさせてゆく
佐藤 橙
空間の感覚を繊細に表し、さりげないが面白味がある。
吹き替えを嘲る君の真向かいに剥き出しの僕 字幕ないけど
牧野太郎
不思議な歌だが、独自性が強い。吹き替えでなく、自分の声で語ろうとする決意と躊躇い。
君の話追いつきたくて夜を明かし一冊分だけ距離を縮める
遊道夏陽
「君」と会話を合わせるため、徹夜で本を読んだのだ。恋心をまっすぐに歌い、爽やかだ。