庭にて / 村上 和子
2026年4月号
母の庭から分けてもらった白い沈丁花が香る。春が巡ってきたことを思う。
家籠りつづける庭にひしひしと鈴蘭の芽の緑あかるし
小林幸子『日暈』
鈴蘭が咲き始める頃となった。小林さんはお庭で、あどけない花の白とやわらかな緑を眺めておられることだろう。冬の真っ赤な実も楽しみだ。
意のままに仕事片づく日はたのし柿の木陰で吾子よ遊ばん
小石薫『ひとつの声』
お姑様とともに和裁の仕事をされていた小石さん。この日は納得のゆく仕立てができたのか。ならば一番したいことをしよう。庭の大きな柿の木の下で。
刈り終えて犬とわたしの寝転がる草ぶとんのなか青き花あり
なみの亜子『「ロフ」と言うとき』
西吉野の山間、柵で囲った千坪の庭で二人と二頭で暮らした日々。この上ない幸せだが、夏なら四周も敷地一帯の草刈りを。そのご褒美が草のふとんなのだ。
庭撒きのホースより出る水熱し七十三度目の原爆忌なり
北辻一展『無限遠点』
庭の水まき用ホースから、夏の陽に熱せられていた水が飛び出した。このこと、忘れないようにしよう。
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第百九十四便でも触れたのだが、四十余年前の二月夕刻、中井英夫さんにお目にかかった。編集者M氏の紹介で、最寄りの井の頭線東松原駅前にて初対面のご挨拶をした。その後、徒歩十分ほどのご自宅へ。と、「玄関は開かないことになってるの。(あるいは「玄関は開けない…」だったか)こっちからね」と左手の生垣のあたり、庭への通路を示された。そこを抜けると、右手に建物が、左手には低木の細枝が絡まりあっているような黒い影が見える。ここが多くのエッセイや小説で語られる中井さんの「薔薇の庭」なのだった。さらにその夕闇の奥へ目を向けたとき、ぱっと背後が明るくなった。中井さんが部屋の明かりを点し、ガラス戸を開けて下さったのだ。M氏に続いて沓脱石にあがったとき、もう一度、庭を振り返った。
その日私は、出版されて間もない中井さんの第五エッセイ集『地下鉄の与太者たち』を持参していたのだが、同書の口絵の一枚が、この庭のカラー写真であった。キャプションには「1983年5月15日、薔薇の宴当日。」とある。背丈を越える色とりどりの薔薇が咲ききそうなか、中央奥の一輪が、寺山修司の霊前にも捧げられたオクラホマとのこと(あとがき)だが写真では見分けがたい。庭のなかほどの小さな空間には、家の中から持ちだされたとおぼしき小テーブルや幾つもの椅子が置かれて、まもなく到着するゲストたちを待っているのだった。
(※ホームページ編集註:北辻一展さんの「辻」は一点しんにょうですが、システム都合上「辻」表記にしています)