短歌時評

戦後八十年の先に / 小林 真代

2025年10月

 戦後八十年。実際の戦争を知る人が少なくなり、直接戦争の話を聞く機会が減っている。その一方で、これまで沈黙してきた方が語り始める例もあるという。
 八十年の沈黙は重い。それを覆して語り始める心を私はまだ完全にはわからないが、語るタイミングは人それぞれなのだ。そのタイミングがいつ訪れるかは、きっと本人にもわからないことなのだろう。
 戦争体験者が当時について語る場が常にあるということは大事なことだ。証言を聞き続け、そういった場を守り続けてきた人たちもこの八十年にはいたのだ。
 短歌も、きっとそういう場の一つなのだと思う。
  疎開先青梅の家の板の間に坐して聞きたり玉音放送
                    春日真木子「短歌」二〇二五年八月号 
  隣組組長宅おとなりで集まり聞いた玉音ラジオ放送 勝ち負けめぐり喧々囂々
                     志野暁子「短歌」二〇二五年八月号 
  蟬声の激しき中に整列し玉音を聞く最敬礼して
                   山崎瑞江「うた新聞」二〇二五年八月号 
  引揚げて入校せし村の小学校戦死して父なき友多かりき
                   楠田立身「うた新聞」二〇二五年八月号 
  子の戦死公報に祖母が木の陰で嗚咽せしこと誰にも言はず
                     江頭洋子「歌壇」二〇二五年九月号 
 玉音放送、戦死。言葉としてのみ知っていることに、実際の個々の経験がある。長い時間追い続けてきたからこそこうして様々な証言があり、そのひとつひとつの積み重なりが重みを持って迫ってくる。
 「歌壇」二〇二五年八月号の特集「歌人たちは戦争をどう詠んだか」では戦後八十年を十年ごとに区切り、その頃に詠まれた歌を考察している。読みながら、次の十年、さらに次の十年、その先の十年、を思った。
 戦争の経験がなくても戦争がないことにはならない。戦争がなかったことにもならない。たとえばこの先、戦時下での直接の体験を詠んだ歌が生まれなくなる日が来るとしても、今も世界で戦争は続いていて、この先の日本がどうなっていくかはわからない。
 戦争の体験を直接聞けなくなることへの不安は、現実の戦争への不安だ。
  人間の寿命を超えてなほいまだ基地ある祖国を是とする国家
                   仲つとむ「うた新聞」二〇二五年八月号 
 戦争を直接知る人が減ってゆくのが現実なら、人間の寿命を超えて基地があり続けるのも現実。私たちはそういう今を生きている。
  戦時下に少女のわれは敗戦後八十年を生きおり いくさのあるな
                   髙島静子「うた新聞」二〇二五年八月号 
 この歌に添えたエッセイのなかで髙島は、「いま戦乱のガザに生きる子ども達はあの日の私達。自分のことはもうよい。遺してゆく愛する人たちが暮らし続けるこの国の今後が気懸りな昨今だ。」と書く。戦時下に子どもであった方たちの歌には、いま戦時下にいる子どもたちを思う歌も多い。ニュースで知る遠くの戦争と、八十年前の戦争の体験がリアルに重なる人がいる。八十年前を詠った歌が、たしかに今とつながっている。それはとても悲しいことだけれど。
  いまだつづく戦いの世に慰霊碑の八十年のふかき沈黙
                     三浦恭子「歌壇」二〇二五年九月号 
 語りたくても語ることのできない戦死者たちの沈黙。言葉でも声でもなくこの沈黙がいちばん重いとしても、それでも沈黙を語り継ぐ言葉と声を持ちたいと私は思う。
 この先、戦争はどう詠われてゆくだろう。今ここにいる私たちが八十年前とこれからの日々をつなぐことは間違いない。

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