百葉箱

百葉箱2022年6月号 / 吉川 宏志

2022年6月号

  死に近きそのきは二人重なりて互ひの鼓動伝へ合ふのみ
                           竹井佐知子

 濃密な歌で圧倒された。前後を読むと、夢に出てきた死者を詠んだ歌のようでもある。どのように読んでもいい歌であろう。
 
  ありふれた娘のコート追いかけて乗るバス探す淡雪のなか
                            冨田織江

 大きなバスターミナルだろう。同じような色のコートを着た人が多く、娘を見失いそうになるのだ。焦りがリアルに伝わる歌。
 
  見覚えのある名貼られし菜の花を購う初の出荷と思いて
                           黒沢 梓

 「初の出荷」だから、農家を始めたばかりなのだろうか。知人の作った野菜を、嬉しく買っている。季節感が豊かである。
 
  ありありとむこうにわたしがいる夜の窓をひらくとわたしがいない
                                中田明子

 夜のガラス窓に映った自分が、開くと消えた。当たり前のことなのだが、表現の工夫により、不思議な味わいが生じている。
 
  大胆な雲の置きよう青空に今日の描き手はきっと若者
                          西村清子

 青空に浮かぶ雲を、誰かが描いたものだと想像している。今日の空には、若者の大胆さがあるという。非常にユニークな発想だ。
 
  国境を歩いて越えたことがない桜前線ある国に住む
                         岡田ゆり

 今起きている戦争で、地上に国境を持つ国、持たない国の運命を考えさせられた。「前線」は元々戦争用語だったことも思い出す。
 
  死体のごとまなぶたとぢる力無くただ打たれゐる春の雨音
                         赤嶺こころ

 生と死が逆転したような発想がじつになまなましく、強い印象を残す一首である。
 
  現実で戦地と呼ばれている街にチューリップを売る老女 逃げて
                               中森 舞

 ウクライナの老女を詠む。冷静に歌ってきて、最後の「逃げて」に激しい思いがこもる。
 
  ストーブが消えてゆくまで話した夜どうどうめぐりも道は道だよ
                               浅井文人

 下の句のリズムが快く、箴言のような魅力もある。
 
  青と黄のレゴふたつ積み六歳は窓辺の棚にそっと置きくる
                            松山恵子

 幼い子なりに心配し、慰めようとしているのだろう。事実だけを淡々と描いたところがいい。
 
  かなしみがどれだけ大きくなったって眠ったときのたんすの高さ
                               椛沢知世

 眠るときに箪笥を下から見上げたことを歌っただけだが、何か深く心に沁みるものがある。
 
  眼球の水に吸い寄せられていく花粉 渦状銀河の燃える
                           佐竹 栞

 花粉アレルギーをスケール大きく歌い、面白い。「吸い寄せられて」という動詞の選びがいい。
 
  大北風おほきたに揺さぶられつつ飛ぶ鳥の三半規管の強さを思ふ
                           染川ゆり

 名詞の効いている歌で、音の響きに張りがあり、大きな空間の広がりを感じさせる。
 
  臨月とおぼしき女性担架にて救護されゆく戦争とは戦争とは
                             岩泉美佳子

 これも結句に思いが溢れている社会詠で、ウクライナの女性と、身体的に共鳴している。
 
  深鍋に煮つける鰈照りながら桜待つ窓すこし開けおく
                          山田信子

 言葉のバランスがよく、春の明るさが目に見えるよう。鰈が照ると捉えたのが巧い。

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