百葉箱

百葉箱2022年5月号 / 吉川 宏志

2022年5月号

  列島の睾丸だろう四国とは冬の嵐に押されて帰る
                        大橋春人

 ドキッとするような発想である。風土に対する暗い気持ちが滲み出ていて、迫力がある。
 
  頬のあたり整えられてたぶんいま初めて化粧をした父の顔
                            荻原 伸

 化粧とは無縁の武骨な父だったのだろう。死後、頬を塗られている姿がかえって痛々しい。
 
  一枚の鴉の羽を風呂の火にくべれば人と同じ匂いす
                         高原さやか

 人を焼く匂いと同じということか? なぜ作者はそれを知っているのか? 謎めいていて、不気味な一首である。
 
  すり減りて何か分らぬ踏絵見る はつきり見えた初めがありし
                              井木範子

 当たり前のことを歌っているが、これも怖い歌である。すり減るたびに人が死んでいったことを思わせるからだろうか。
 
  住職の見せてくださる馬市の写し絵のなか帽子の紳士
                          水野直美

 お寺で古い写真を見せてもらった場面。馬市を見る洋風の紳士。レトロな味わいがある。
 
  後れ毛の一筋ほどで繋がれしこの世に匂う柊の花
                        今井眞知子

 命の危機を乗り越えたのだろう。生のはかなさをしみじみと噛みしめる思いが伝わる。
 
  竹箒の香ばしき音街角に冬が静かにひろがりてゆく
                         森 雪子

 「香ばしき音」が竹箒の感触をうまく捉えている。冬の初めはまだ明るい雰囲気がある。
 
  髪を切る匂ひ一瞬強くなるゆふぐれ近き運河の町で
                         鈴木むつみ

 運河の鉄工所の雰囲気が鮮明に捉えられ、魅力的な歌。
 
  病室のだだっ広い窓の黒を突き破るごと満月のあり
                         今枝美知子

 病室から見える満月の異様な存在感が伝わってくる。「突き破るごと」に凄みがある。
 
  姿見に三人家族で入り込み息子の丈を確かめてみる
                         竹田伊波礼

 「入り込み」がいい表現で、家族の一体感が美しい。
 
  結ぶ星なき金星は朝ごとに上がる時刻を遅らせている
                          岡崎五郎

 星座ではないので結ぶ星がない。それは当然なのだが、孤独な心象を自ずから感じさせる。
 
  死ぬまえに想うだろうかネクタイのしき台形くずすゆびさき
                              榎本ユミ

 ネクタイの描写が巧い。恋の記憶をいつまでも忘れずにいたいという願いが歌われる。
 
  バス停に待ちゐるバスはこの街の顔してのつそり定刻に出る 
                             三好くに子

 さりげない歌だが、街に馴染んだバスの存在感が、やわらかな調子で歌われ、印象的。
 
  濡れている子の眼球をほおずきにしまおうとして夢から醒める
                              森山緋紗

 眼とほおずきの組み合わせがなまなましい。怖い夢だ。
 
  息終へし母に入れ歯を着けむとしかぽりと音し歯は入りたり
                             槇川 裕

 「かぽり」という音が恐ろしい。母の死の衝撃が、強い臨場感で迫ってくる。
  
  ボート漕ぎ溶け込んでみる上江津かみえづ湖藻中の魚光をはじ
                          山森理香

 湖に「溶け込んでみる」という発想に惹かれる。藻や魚と自分が一体化してゆく感触がある。
 
  ふきのとうは春の呼び鈴誰しもが春を待ち侘びていると思うな
                              田中しゅうこ

 上の句の比喩がユニーク。単なる春の讃歌ではなく、下の句の意外な展開が心に残る。

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