百葉箱

百葉箱2022年3月号 / 吉川 宏志

2022年3月号

  広辞苑のやうなるまきを手に摑み君は静かに火を操れり
                          髙野 岬

 比喩が意外で、大きさ重さの実感がある。「操る」という動詞の選択もよく、火の美しさを彩いろどる。
 
  目覚めれば雨の音する雨粒が物に当たりて初めての音
                          西村清子

 下の句に、なるほど、と思わせる発見がある。
 
  リズム体操自分の周りを回れとふをかしな言葉と思ひて回る
                             矢野正二郎

 自分が自分の周りを回る、というのは奇妙なことだなと思いつつ、いつもどおり回っている。おもしろいところを摑んだ歌。
 
  腹のうちに黒い皮膜をもつうおは食うたひかりを洩らさぬという
                              谷口美生

 光るプランクトンを食べた場合、それが透けて見えると、大きな魚に狙われてしまう。魚の生の工夫に感嘆した歌だが、何か象徴的な意味も感じさせる。
 
  最期まで残ると言はるる聴力を失ひ何が最後に残る
                         土佐小花

 臨終のときも、耳は聴こえているとよく言われる。作者は耳に障害があり、最後に家族の声を聞くこともできないと嘆く。心からの叫びを感じさせる一首である。
 
  古い詩誌より自作のページを切り取りぬ昔のなかま全員見捨てて
                               中村英俊

 最後は自分が大事で、仲間を捨てた後ろめたさが、具体的な行為で描かれ、胸に沁みる歌。
 
  あのりんごとても甘かった二分の一は八分の四と同じ納得の子と
                               宇都美恵子

 りんごを使って分数を教え、その後食べた、という場面だろう。理解してもらった満足感が味にも含まれている。
 
  いまごろになつて「・・・・・・マスク」の使ひ道(個人名につき三字削除)
                                  島田章平

 アベノマスクを歌う。さまざまな理由をつけて、権力を批判する言葉を封じることは、よくありそうだ。そんな時代への皮肉。
 
  思い出せる順にわたしが話すからあなたにうまく並べてほしい
                              豊冨瑞歩

 自分では整理できない思いを、「あなた」に伝えることで、確かめようとしている。心理の襞を繊細に捉えた歌。「あなたに」の「に」が効いているようだ。
 
  この街を火葬場として楓は焼ける生きてる意味を君だけは分かって
                                中村雪生

 楓の紅葉で、街が火葬場になるというイメージが怖くて鮮烈である。下の句、さまざまな解釈ができるが、切迫感が強く、心に響いてくる力がある。
 
  日の暮れの早さに未だ慣れなくて皮を剥いても柿は柿色
                           高橋ひろ子

 たしかに皮を剥くと、光沢はないが、同じ色が現れる。色彩感が豊かで、情感のある歌だ。
 
  森に栖むひとはしづかに広葉樹は燃えにくいことも教へてくれた
                               山下好美

 「広葉樹」という言葉の美しさが浮かび上がってくるような歌。結句の口語の過去形にも、寂しい味わいがある。
 
  低音はずっと身体を巡ってて君に会えなくなった冬の日
                           後藤英治

 上の句の体感に独自性があり、下の句の素直な思いに、リアルさを与えている。

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