百葉箱

百葉箱2022年2月号 / 吉川 宏志

2022年2月号

  かろうじて細くつながる気道もて通う空気に一夜眠りぬ
                           菊沢宏美

 細い一本の気道で、命がつながっているという切迫感が読者の身にも響いてくる歌。
 
  四歳は見て見て見てと見せくれぬ海遊館で撮りしママの足
                            白井陽子

 「見て」の繰り返しが楽しい。下の句は簡潔ながら、失敗した写真が目に浮かんでくる。
 
  息子らに分からぬように退り行く青空広がるなつかしき世を
                             山口絹子

 終末の準備をしつつ、息子たちには気づかれないようにする優しさ。青空の色が哀切だ。
 
  強風に裏がえる傘なんと言う江戸は御猪口で浪花は松茸
                           加藤 紀

 ユニークな題材を、調子のよいリズムで歌っていて、いきいきとした印象を残す一首である。
 
  えいゑんにもどらぬ多くのひとのため人は帰るのだ駅の灯ともる
                               俵田ミツル

 不思議な感触をもつ歌。死者たちのために、生きている人は無事に家に帰らねばならない。当然のようだが、確かな実感がある。
 
  護送車に乗る人生も揺られおり同じフェリーに縦に並んで
                            中山悦子

 下の句の状況がリアルでおもしろい。さまざまな生と隣り合う偶然に、畏怖を感じている。
 
  テーブルの上にザクロをおくままに秌とは秋の本字と知りぬ
                             村瀬美代子

 上下を「おくままに」で巧く繋ぎ、静かな情感がある。
 
  〈痛み〉には〈痛み〉にて耐ふ いまの痛み血滲むほどの爪痕で済む
                                 赤嶺こころ

 凄惨な苦しみが伝わってくる。〈 〉の記号がやや理屈っぽいので、省略していいと思う。
 
  綱渡りしていた鳩がおりてきて鳩に混ざってもうわからない
                             椛沢知世

 存在の不確かさが心に残る歌。「綱渡り」が映像的だ。
 
  聖名はヨハネといった祖父はもう祖母のマリアと会えただろうか
                               阿部はづき

 祖父母の死を詠む。ヨハネとマリアの名が美しく哀しい。
 
  走る馬の絹のからだを襞にするアフガン巻きといふ結び方
                            岡部かずみ

 馬の絵のスカーフを巻いているのだが、戦場を思い出させ、強いインパクトが生じる。
 
  はばからず泣いてをります噴水のそこひに溜まる銀貨のやうに
                              近藤由宇

 下の句の比喩に飛躍があり、詩性が豊か。涙が銀貨になるところに、強い自己愛もあろう。
 
  同級の汚い家に投げた石ぼくへと飛んでいて欲しい夜
                          徳田浩実

 過去に犯した差別を悔やみつつ、償うことのできない苦しみを歌う。身に沁みる一首だ。
 
  泣き笑ひをいつまで経つてもやめないで葈耳をなもみみたいな妹だつた
                               永山凌平

 服にくっつく草の種に妹をたとえ、絶妙なおもしろさがある。漢字表記も効いている。
 
  ひがくれあとう子が習字教室にいてひがくれるまで筆を離さず
                              新城初枝

 比嘉クレアという名か。言葉遊びの歌だが、少女の姿が見えてくる感があり、好きな一首。
 
  母国語を話せぬ母の鶏だしのワカメスープはわたしの故郷
                            境 美依

 母は在日韓国人なのだろう。結句に真情が素直に表れていて、胸を打つ一首である。
 
  同じ姓の殊更多き墓地に来て子規門人の墓石を探す
                         田山光起

 墓を訪ねる人も少ないのだろう。同姓が多いことから、小さな村の感じも伝わる。「殊更」という語の使い方にも独自性がある。

ページトップへ