八角堂便り

こちどりの背中 / 小林 幸子

2022月号月号

 二〇二一年十月に行われた「市原市短歌大会」の選歌をする機会があった。小学、中学、高校生の部の選歌は愉しい。
 長引く新型コロナの感染状況下、作品にもその影響はみられるがそれゆえの切実な思いが素直に歌に表現されている。
   サンダルを片付けながら思い出す花火の音とプールのにおい
                              権  俊承
 
 夏の終りにサンダルを片付けながら思い出す。コロナで揚がらなかった花火、閉鎖されたプール。けれどサンダルに残っている夏のにおいは消えない。
  夏の夜に家族四人で花火大会花火持つ母小さく見えた
                          小串 葉月
 
 旅行に行けない夏休み、家族四人で庭で花火大会をする。花火を持つ母を見たのは何年ぶりだったのか。母が小さく見えたという気づきに切なさがある。
  静寂に響く宴の笑い声鳥獣戯画の兎に見入る
                      鈴木 彩心
 
 「鳥獣戯画」の展覧会を観たのだろう。「宴の笑い声」を聞いたというおおらかな感受がいい。この笑い声を発したのはだれか、いきいきと描かれる兎に見入る。
  またたくまひろがっていくこちどりがなにかをめざすその背中
                              西口 颯泰
 
 目の前にこちどりの群れが現れ瞬時に広がっていく。その背中が「なにかをめざす」ひたむきなものに感じられた。ひらがなを続けて「背中」と漢字で終る映像的な効果、結句の字足らずも自然だ。
 ここまでの掲出歌は中学生の作品。高校生の歌を引いてみる。
  あじさいに君の言葉を教えたり雨待ちながら歩む水の辺
                           石井 琴音
 
 調べが伸びやかでみずみずしい相聞歌。あじさいだけにそっと君の言葉を教える作者の表情が浮かぶ。a音の韻がやわらかに「水の辺」へ誘ってゆく。
  夏休みコロナのせいで行くとこ無いコロナウイルスが自粛しろよ
                               三原由希乃
 
 コロナ下の夏休み、どこにも行けない不満をうたっている。面白いのは下の句。コロナウイルスのせいで自粛ばかりさせられる、そっちこそ自粛しろよ、と文句を言う。コロナウイルスに翻弄されているような日々が続き、そう言いたい気持に納得する。話し言葉の活きている歌。
 最後に中学三年生の歌を一首。
  暗い中私の体がかがやいた光るパレードに心がないたな
                           小澤 愛花
 
 光を放ちながら通り過ぎてゆくパレード。光に照射されて暗い中に私の体がかがやく。その瞬間「心がないたな」と心が言うのだ。「心がなく」というフレーズは普通は通俗的にひびくが、この一首では若々しい身体感覚を表現する。
 学生たちの作品集を読み返しながら、改めて短歌のもつ力について考えた。

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