百葉箱2021年12月号 / 吉川 宏志
2021年12月号
くもり日のひぐれはなんにもないけれど萩が咲きだす草野さんちの
山尾春美
それこそ内容的には「なんにもない」歌だが、言葉の調子が柔らかく、膨らみのある一首。
虫のこと好きでなくなつたらどうしよう幼は寝がけにふとつぶやきぬ
林 雍子
自分の情熱が失われる日を怖れる。幼児もそんなことを考えるものなのか。もの哀しく、いろいろなことを思わせる歌である。
夢に来るあなたはかつかつ登山靴たまには素足できてほしい軽く
坂 楓
亡くなった夫を詠んでいるのだろう。リズムに自在感があり、結句に胸に沁みる響きがある。
傘の鍵外して帰る美術館に傘をつなげていた俺だった
廣野翔一
場面の切り取り方がおもしろい。物によって繋がる社会のありようを垣間見せる歌だ。
八月のイオンモールの催しにリトルボーイと背丈を比ぶ
永野千尋
原爆の実物大模型が展示されていたのだろう。大量死の歴史が、にぎやかな場所に紛れ込むことに、異様な恐ろしさがある。
しなやかに群竹揺れて時折は幹の擦れる遠き台風
別府 紘
風に揺れる竹群の音を、じっくりと聞いて描写していて、臨場感のある一首である。
ウィスキーのオンザロックは地球だと君が言うからそんな気がした
北乃まこと
グラスの中の球形の氷が美しい。下の句のしっとりとした口語に、優しい味わいがある。
寝たきりの母には私がゐたけれどさて私にはわたしがゐない
河野純子
これも口語が生きていて、不安をあっけらかんと歌う。
待ちわびし約束つひに破られて 今夜の月は早送りで見る
三好くに子
下の句が不思議な表現で、独りの時間の虚しさや、雲が速く流れている空も想像させる。
はるかなる夜汽車とおもうコトコトとみずから掃除するエアコンを
海野久美
身の周りの物が、独自の比喩によって新鮮な表情を見せる。旅への憧れも、背景にあるのかもしれない。
嫌われないことが目標だった日のどこから見てもまるい紫陽花
亀海夏子
上の句が切ない。確かにそんな一日もあるだろう。下の句はやや即
毛替えする弓をゆるめてゆくときに馬のしっぽの面影が立つ
佐復 桂
バイオリンなどの弓。だらりとさせたときに、生き物の感じが生まれてくるという。とてもユニークな発見である。
雀蜂逃げたしわれは逃がしたし窓の向こうは百日紅咲く
西川 閑
上の句の対比に、なるほどと思う。言葉に勢いもある。下の句の視覚への展開も絶妙だ。
抱えてもまったく嫌がらない犬のようにたやすく語られる夢
長井めも
気だるい感じのする長い比喩が効いていて、安易な希望に対する苛立ちが滲み出している。
火のことをお前はまるで崩れだす砂糖のやうな眼差しで見る
横井来季
奇妙な比喩で、意味を説明するのは難しいが、文体に緊密さがあり、新しい何かを感じさせる作品である。注目したい。