青蟬通信

遠山光栄『褐色の実』を読む / 吉川 宏志

2021年11月号

 現代歌人協会のホームページをリニューアルするという仕事を最近手がけた。次のアドレスからインターネットで見ることができる。https://kajinkyokai.com
 その中に、現代歌人協会賞の六十五年をまとめたページがある。代表作三首と、表紙の写真を掲載することにしたのだが、古い歌集では、著作権者が見つからないケースも多く、結構大変だった。第一回の受賞は、遠山光栄の『褐色の実』(一九五七年)。ぜひ載せたいのだが、遺族の方となかなか連絡がつかない。許可する、というファックスをようやくいただいたときは、本当に嬉しかった。
 表紙の写真を載せるため、古本屋で『褐色の実』を購入した。今ではあまり話題にならない歌集で、私も未読だったのだが、静かな中にどこか奇妙さがあって、とても興味を惹かれる一冊であった。冒頭の一首は、
  店さきの菠薐草はうれんそうにいますこし前からかかりそめし雪片せっぺん
というもの。細かくて地味な歌といえようが、「いますこし前から」というところが面白く、時間がふっと前に戻っていく感覚がある。
  いま何か言ひたらむ睡眠ねむりより覚めたるわれのしきりに動悸す
 第二句が字足らずで、読むときにつっかえる感じがするが、そのことによって目が覚めたときの違和感が表現されている。他にも、
  まゆみが見てゐるに花をこぼすなり顔にふれつつその花の落つる
  胸の高さにて遠き裸木みえ午後のくもりに丘くだりゐる

など、不安定なリズムの歌がときどきあらわれる。そこから、鬱屈とした心情も伝わってくるように思う。
 字足らずのリズムは葛原妙子の歌を思わせるが、葛原の主要歌集である『原牛』が一九五九年なので、『褐色の実』のほうが早い。影響関係はさらに詳しく調べる必要があろう。
 『褐色の実』が受賞した経緯については、角川「短歌」一九七一年四月号の「現代歌人協会賞をふりかえって」(梅田靖夫)という文章に詳しい。
 梅田によると、『装飾楽句』(塚本邦雄)、『斉唱』(岡井隆)も候補に挙がっていたが、「前衛的方法によっており第一回には推しにくい」という歌壇政治が働いたという。
 「いやみのない、さらりとした作風で、言葉を責めないところに特徴があった。細心な表現の中にゆったり時間を持たせるところがいい。(略)こうした地味な作風に光を当てることも賞の意義のひとつである。」と梅田は『褐色の実』を評価している。
 たしかにそうした面があるのは否定できないが、現在の目で読むと、もう少し別の印象をもつ。
  両側にならべる倉庫のしかかり来てくらき夜の道つづきたり
  うきあがり脆き感じに地べたあり冬至を過ぎし日のひかり射す

 巨大な倉庫から圧迫される感じ、地面が浮遊するような感じなど、日常の中で身体が味わう微妙な変異を、遠山は言葉でとらえようとしていた。一見地味だが、言葉の使い方には独特の新しさがあるのではないか。こうした繊細な表現は、現在の短歌ではむしろ主流になっている。「いやみのない」「言葉を責めない」といった評言では、大切なものが抜け落ちてしまうのだ。批評の言葉が、作品に追いついていなかったとも言える。
  追従わらひしてたどたどと彼の地より主婦ら水禍をつたへいふ聲
  習慣的に女のわらひゐる聲がつたはりて来て吾の聴きゐる

 「意志なき聲」という一連より。ラジオで、水害の現場にいる主婦へのインタビューが放送されたことがあったのだろう。非常事態なのに、なぜか女性たちは笑いながら話している。ずっと従属的な生活をしてきて、いざというときも意志のない話し方をしてしまうことに、同じ女性として、屈辱感や怒りや悲しみを抱いたのであろう。表現としてはやや粗いが、当時の女性たちの境遇を鮮明に切り取っていて、重要な作品ではないかと思われた。
 『褐色の実』は、筑摩書房「現代短歌全集」第十三巻に収められている。今の目で読み返すと、他にも新しい発見があるはずだ。

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