青蟬通信

『世阿弥 最後の花』を読む / 吉川 宏志

2021年10月号

 藤沢周の最近の小説『世阿弥 最後の花』が、大変印象深かった。
 能楽師の世阿弥は、七十二歳で佐渡に流刑になる。将軍・足利義教の怒りに触れたためだとも言われる。
 世阿弥は佐渡で『金島書』という紀行文を書いているが、どのような生活を送ったのかは、よく分かっていない。藤沢周は、資料の深い読み込みによって、世阿弥ならば確かにこう生きただろうと思わせられる晩年の生を描き出している。世阿弥とともに生きる島の人々の姿も含めて、六百年近い過去の時間が、いきいきと目の前に見えてくる。小説家の想像力の凄さに、圧倒された。
 詳細はこの本を実際に読んでいただきたいが、ここでは和歌に関わるところについて書いておきたい。
 佐渡は、承久の乱で鎌倉幕府に敗れた順徳院が流された地でもある(父の後鳥羽院は隠岐、兄の土御門院は阿波に流される)。世阿弥は、墓所を訪ねたりするうちに、順徳院の和歌に心を惹かれてゆく。
「『人ならぬ……岩木もさらにかなしきは……みつのこじまの秋の夕暮れ……』
 もはや都にも戻れない人ならぬ我は、岩や木であろうか。そんな私をも悲しく切ない想いにさせるのは、みつの小島の秋の夕暮れである。
 順徳院の歌には、父の流された隠岐、兄の阿波、自らの佐渡、遠流の三つの島にも秋は暮れてゆくとの想いもあったのか。」(p.223)
 さりげなく書かれているが、「みつのこじま」は、「小黒崎みつの小島の人ならば都のつとにいざと言はましを」(古今和歌集)から取られ、「見つ」を掛けている、というのが通常の解釈なのである。それを、三人の院が流された三つの島、と読むことにより、非常にスケールの大きな秋の夕暮れが浮かび上がってくる。じつに魅力的な読みの発見である。
 世阿弥は、順徳院の霊を弔うために新作能「黒木」を書く。「死者の心に届く能」(p.250)を舞おうとするのである。この「黒木」のエピソードは虚構らしいが、能舞台がまざまざと見えてくるような描写が繰り広げられる。
「面を宙に掲げて低頭すると、息を細く丹田に収めながら、順徳院の面をかけた。刹那、演じる世阿弥元清なる老翁なぞ薄らぎ、消えて、面の内も装束の内も無となる中に、霜の降りるように順徳院の想いが忍び入ってくる想いがした。」(p.282)
 これは能について書かれているが、和歌についても同じなのだと思う。和歌も、声として読むことによって、不在である人の想いが、自分の中に「忍び入って」くるのである。
 また、歌の作者が見た場所に自分も行くことで、さらに身体的なつながりは深くなっていくだろう。歌には、自己と他者を融合させてゆく力がある。
 世阿弥と語り合う住職が、こんなことを言う。「己れを捨てんと思うていた己れこそが、とらわれの塊でございましてのう。」(p.294)
 芸を極めるには、卑小な自分を捨てなければならない。しかし、それを意識した途端、〈自分を捨てようとする自分〉が生じてしまう。これは、短歌を作る上でもしばしば起きることだ。自意識の檻から逃れることはできない。この矛盾をどう超えればいいのか。
 『世阿弥 最後の花』では、二つの道が示されているように思われる。一つは死者につながるという道。「あの『黒木』では、世阿弥様はおらなんだ。消えてしもうた。消えて、順徳院が降りて、舞うておりました」(p.294)。しかし、死者を呼び込むのは非常に危険であることも同時に示されている。
 もう一つは、佐渡の美しい風土と身体を一体化させていく道である。「森羅万象の一つ一つと己れが同じうなって、もはや一心」(p.205)。その境地を目ざして最後に舞うのが「西行桜」というのも興味深い。西行の歌には、人間と自然が融け合ってゆく希望のようなものがあらわれているのかもしれない。
 世阿弥の到達した「最後の花」とはどのようなものだったか、ぜひ読んでみてほしい。佐渡に行ってみたくなった。

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