八角堂便り

漢和辞典に遊ぶ / 永田 和宏

2021年10月号

 二年ほど前からちょっとこだわっているテーマ(?)がある。「短歌」二〇一九年十月号の「諸橋さんと遊ぶ」が最初だっただろうか。「諸橋さん」は諸橋徹次のこと。『大漢和辞典』『広漢和辞典』などの編者で漢字研究の第一人者である。その諸橋さんと「遊ぶ」とは、たとえば、
  はやくちに言ふことなかれあらそひて人に言ふならなほさらのこと
  わが母校双ヶ岡中学につづり来しかの日の決意に又もしたが
といった遊びである。
 一首目は、早口で言ってはいけない。人と争う場合なら、なおさらのこと、というほどの意味であるが、もちろん歌の内容の深さに意味があるのではなく、すぐわかるように「言」「誩」「譶」を一首のなかに組み入れつつ、一応意味の通る歌に仕立てた言葉遊びである。
 二首目は、「又」が一つから四つまでの漢字を、すべて入れているところがミソである。私の母校の双ヶ岡中学が入っているところにちょっとリアリティが。
 同じ漢字を二つ並べたものを「理義字」、三つ組み合わせたものを「品字様」と言う。調べてみると、理義字も品字様もずいぶん多い。簡単な漢字ならどの漢字も、どちらかを持っているのではないかと思えてくるほどだ。最近、ずばり「品字様・理義字」なる一連を作ったこともあった(「短歌往来」二〇二一・七)。
  心には理義字あらずもうたがふは心二つにこそあるべきに
  品字様われは好きなりたばかるが二枚舌ではないことなども
 私はもっぱら諸橋の『広漢和辞典』を愛用しているが、単に調べるというよりは、遊ぶという感覚でぱらぱらとページを繰っているうちに、思わぬ発見をすることもある。
  正しくは蟲と書くべし虫はもと蝮の頭 蟲にあらずも
  なんで蟲が正字なんだと尋ぬれば奥本大三郎にやりと笑ふ
  羽虫は鳥毛虫は獣と記すなり諸橋漢和 裸虫が人
 これは「裸虫の業」と題した「短歌研究」二〇二一年六月号の一連。諸橋さんによると、「虫」は本来、蝮を表わすのだという。確かに「蝮に注意」という看板の、とぐろを巻く蝮の絵は、「虫」という漢字そのものだった。そもそも蝮がなぜ虫偏だと以前から疑問に思っていたが、その疑問も氷解。三首目は、諸橋広漢和で見つけた説明である。確かに人は裸虫と言われればなるほどと思わざるを得ないか。
 遊びは必ずしも品字様、理義字だけではなく「心部の字二百余りを辿りつつ最後おろかの二十八画」などという歌も作ったが、意味もなく漢和辞典を渉猟するのは楽しい。「永田さん、またやってるよ」と陰口をたたかれつつ、もうしばらく遊んでみようかと思っている。

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