短歌時評

運用と手順⑯ / 吉田 恭大 

2021年5月号

 みなさまいかがお過ごしですか。聖火リレーは続いていますか?
 不要不急の外出を控えよ、という生活が一年以上続いていて、通勤経路以外はほとんど遠出をしなくなってしまった。たまの用事で職場の外に出かけるときにも、人込みや喧噪そのものに気疲れしてしまう。
 吟行、というイベントも久しくやっていないけれども、だからこそ、だろうか。今年二月に刊行された『短歌遠足帳』(ふらんす堂)が大変面白かった。これは東直子と穂村弘の両名が、毎回ゲストを招いて東京近辺の観光地へ赴き短歌を作る、という企画で、ゲストは岡井隆、朝吹真理子、藤田貴大、萩尾望都、川島明の五名。
 中でもとりわけ、岡井隆と井の頭自然文化園に行く回が心に残る。
  頭蓋骨のくぼみに日本の影ためて老象はな子のっしり遊ぶ
                             東 直子
  はばたいて襲ひたからうが今しばしそこに居(を)られよ大みみづくよ
                             岡井 隆
  逆光のスワンボートへ告白のごとく近づく岡井隆は
                             穂村 弘
 吟行が行われたのは二〇一二年の一月。井の頭公園にアジアゾウのはな子が生きていた頃の話であり、それを岡井隆と二人が眺めてめいめい感想を交わしている、というのが既に歴史の中の出来事のようだ。二〇一六年にはな子は死に、翌年吉祥寺駅前に銅像が作られる。今や武蔵野に巨象も岡井隆もいない。
 吟行という体験、場の共有をきっかけにして、ゲストの個々の記憶やエピソードを引き出していく吟行録のスタイルは、もちろん東、穂村両名の手腕もあるが、シンプルに読み物として面白かった。コロナの状況下ではやりにくい企画だからこそ、今のタイミングで読めたことに意味があるようにも思う。
 場についての話、でもう一冊言及したい。同じく二月に刊行された歌集『ここでのこと』(ON READING)は、愛知県にゆかりのある九人の歌人によるアンソロジーである。谷川電話、戸田響子、小坂井大輔、寺井奈緒美、辻聡之、野口あや子、千種創一、惟任將彥、山川藍が、それぞれ愛知県の具体的な場所に取材して連作を寄せている。
  駅裏が駅西になり遠ざかるかつて闇市だった記憶が
                         小坂井大輔
  ドラゴンズ遠くにありて。テーブルのクリアファイルに龍は泳いで
                                千種創一
『地球に住むすべての人にとって無関係ではいられない今回の事態ですが、各々の事情や環境によって受ける影響は様々です。また、移動が難しくなり行動範囲が狭くなったことで「世界が狭くなった」という声も散見しましたが、一方でこれまで見過ごしてきた半径1キロくらいの地図の解像度がぐっと上がったと見ることもできるのではないでしょうか。個々(ここ)の断片的なシーンと世界を同時に襲った未曽有の事態という大きなものがたり。ミクロとマクロの視点を行き来することで、自分の居る場所を改めて意識することができるのではないかと思います。』という文言が巻頭、企画趣旨として載せられている。
 寄せられた作品の、テーマとなる地名に対するアプローチはさまざまだが、概ね生活と、その延長線の場所として成立しているように感じた。複数の視点による、「生活圏としての」場の把握は、吟行の祝祭性、非日常性とはまた異なる形で、読者へその場所への関心を呼び起こすことができるのではないだろうか。
 また別の文脈で言うと、『ここでのこと』については、愛知県文化芸術活動緊急支援金事業/アーティスト等緊急支援事業「AICHI⇆ONLINE」の企画として出版された、ということも付言しておきたい。文化助成として歌集形式の出版物というのは他にあまり例がなく、今後において重要なモデルケースとなるはずだ。

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