八角堂便り

杉原令子の歌 / 小林 幸子

2021年1月号

 「八角堂便り」に二度、杉原令子さんのことを記した。杉原一司夫人令子さんとの出会いと忘れがたい記憶について―。
 二〇二〇年三月尽日、鳥取の「杉原一司歌集刊行会」から『杉原一司歌集』と『杉原一司メトード歌文集』が刊行された。製作代表は杉原ほさき氏、一司の子息である。刊行に関わった北尾勲さんから四月半ばに届いた簡素な二冊の本はコロナによる自粛の日々の清かな贈り物だった。
 『杉原一司』の著者として杉原一司と並び杉原令子の名がある。前川佐美雄の発行した「オレンヂ」と一司が丹比小学校教員であったころ仲間と発行した同人誌「花軸」に掲載された作品である。
 「オレンヂ」掲載歌は六首、「花軸」掲載歌は三十首。「オレンヂ」の一首は引用で読んでいたが、まとまった作品の収録は初めてだろう。「夫のそばで言葉の端々をメモしたり代筆したり、鉛筆を削ったりしながら。遅くまで歌に付き合っていたの」と寂しそうに語った母の言葉をほさき氏は記す。そんな日々に生まれた歌だろう。
 「オレンヂ」掲載の三首を引く。一九四六年ごろの歌と思われる。
  夏蟬のぬけ殻を一つ掌にのせてやすく憩へるさびしさに生き
  紫陽花のみどりも靑もはやあせてわが諦めは日々にすがしき
  掃けども掃けどもなほ掃ききれぬ裏庭の落葉の如き身に餘りつつ
 疎開してきた前川佐美雄の家族が奈良に帰った年で、ようやく二人きりの生活が始まったが、一司の心は歌への情熱が占めていた。さびしさや諦め、それでも身に餘るものとの葛藤が表出する。調べのうつくしさと言い差しの結句が、さびしさやあきらめを揺曳している。
 一首目は「やすく憩へる」で切れ、「さびしさに生き」とふっと漏らす。二首目は「わが諦めは日々にすがしき」ときっぱりと詠い切る。三首目は「掃けども掃けども」という初句の字余りが、広い庭の落葉を毎日ひとりで掃き続ける焦燥を表し象徴的な一首といえよう。
  身のめぐりに春は深めり嬰児(みどりご)のまつげほそぼそとかげを作りて
  霧のなかより啼ける鳥あり朝霧は息づまるばかり流れやまぬを
  ひそやかにくりやにともす灯の下に肩おとしわれのかくていつまで
  風早く吹きとほりゆく跡の見ゆる日を日もすがらきぬはた織れり
 「花軸」に発表した作品から引いた。
 嬰児を抱きながらまつげのかげに目を留める。生きることのさびしさを告げるように。川から湧き上がる朝霧のなかに鳥のいのちを聴いている。三首目はくりやごとに明け暮れる嘆きをそのまま詠う。四首目は風の跡のみえる風景と思いをつむぐはた織りが歌の内奥へと誘う。

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