八角堂便り

緑金のかがやき / 花山多佳子

2020年10月号

 物置を整理していたら昔の角川「短歌」が出てきた。河野裕子の角川短歌賞受賞が発表されている昭和四十四年六月号もあった。私は短歌を始めたばかりの頃で受賞作を読むために「短歌」を買ったのだろう。その後もときどき買っている。当時の雑誌の写真ってこんなにひどかったのか、裕子さんは可愛いのにぼやけてはっきり写っていない。選考座談会は今よりずっと簡略だが、斎藤史・宮柊二・近藤芳美・塚本邦雄・山本友一・玉城徹というメンバーでの議論のラフさが改めて楽しめた。
 ところで、その年の八月号も出てきた。ここに河野裕子「緑金のかがやき」三十首が掲載されている。受賞第一作ということになる。この一連を当時読んだとき、受賞作「桜花の記憶」とはかなり違うなあ、という印象を受けたことをよく憶えている。「桜花の記憶」の少女期の野太いナイーブな魅力に対して、どこか硬質で透明な感じがしたのだ。
 その一連としての印象が『森のやうな獣のやうな』では消えている。という感じが漠然としていて、ずっと気になっていた。もしや収録されていない? と思ったのは錯覚で、今回、照らし合わせてみたら、三十首の中の十八首が収録されているのがわかった。ただ一連としてではなく、他の歌と組み合わせながら、かなりばらばらに、順序や章も変えて編集し直されている。そのために一連が消えたような気がしていたのだろう。
 歌集の編集はどんなふうにしたのか。それなりに納得できる並びであるだけになんか平板になってしまったような気がする。一連を雑誌で見たときのインパクトが感じられない。雑誌発表での一連というのは、その場の空気が何かあるのかもしれない。
  いつまでも少年のやうな君のこと樹液したたる夏木々熱し
  乾きゆく血のいろほどに口惜しく汝れも持ちたる野の少年期
を冒頭に置いて、中ほどに章題歌の
  秋の日の鏡の底に研がれゆく蝶ひとひらの緑金のかがやき
があり、後半は
  夕光に透くまで見つくし佇ちをればすでにさくらも身も冷えゐたり
  汝を産みしひと亡きなればゆふかげに透りゆく一樹に眼をこらしつつ
の歌で終る。この歌で終るのが一連を引き立てていたと思うのだが、歌集では、このあとずっと歌が続くのである。
 歌集には入っていない歌で好きな歌もあるので、あげておきたい。
  汗ばみて体毛金いろに光りゐる胴ふとき馬が坂下り来る
  昏れ残る一樹のもとに寄れるとき太初あかがねのことばもありき
  うら若き母の膝ふくらかにありしこと杳き記憶のそこのみ耀ふ

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