八角堂便り

マスク短歌考 / 江戸 雪

2020年4月号

 この春はマスクをした人が街に溢れている。マスクをしていないと咳払いもできない雰囲気。異様だが現実だ。今年は多くの歌人たちがマスクの歌を作るだろう。それに先駆けてマスク短歌を。
  いろいろなものから自分を護るため陽射しにマスクが光る群衆
                  小島なお『サリンジャーは死んでしまった』
  ウィルスにみちたる呼気が三次元マスクとの間にうづまいてをり
                        吉田隼人『忘却のための試論』

 昨今、日常的にマスクをするという人も多い。アレルギー対策や防寒などのためと聞く。あるいは若者。ついついはみ出してしまう自意識が苦しくて、匿名性を手に入れるためマスクをする。顔を曝さないことで安心感が得られる。小島なおの作品には顔の見えない「群衆」の鈍器のような威圧感、あるいは存在の儚さが詠われている。吉田隼人の歌は自分がウイルス感染者であるという自覚がどこか恐ろしい。
  地下鉄を待って二列でうつむけばマスクが大きくて目に刺さる
                           山川藍『いらっしゃい』

 やはりマスクのなかに閉じ籠もっている。ただ、鎧のはずのマスクが大きすぎて自分を傷つけている。「うつむけば」「目に刺さる」が情けなさを表現している。
  マスクして帽子かむれば抱卵を放棄されたる卵の気持ち
                          遠藤由季『鳥語の文法』

 マスクだけではない。帽子まで被っている。もはや誰だかわからない。だから誰からも個人として認知されない。「抱卵を放棄されたる卵」とは何か。この世から放り出されたような感覚と同時に、何も生み出さない、無機質なモノになってしまった気がしたのだろう。
  辛夷咲きわたしはマスクをかけたまま花になれない顔近づける
                           黒﨑聡美『つららと雉』

 辛夷の白い大きな花は早春を華やかにしてくれる。顔に白いマスクをつけている自分。顔を近づけてみたけれど永遠に花になんかなれない。辛夷の花への憧れ。
  おゆをのむときに片方だけ外すあなたのマスクその静かさに
                           藪内亮輔『海蛇と珊瑚』

 マスクに覆われて見えないあなたの顔。白湯を飲む際に、ずらすのではなく片方の耳から紐を外す。マスクのひらりと動く様子が「片方だけ外す」と表現されているが、それ以上に一連の所作のやさしさに惹かれている。「おゆ」がまたいい。
  花粉防御マスクの上の眼が笑うおめでとう新しき春の訪れ
                            佐伯裕子『感傷生活』

 顔の下半分はマスク。けれど、上半分の眼差しからその人の感情は溢れ出ることだってある。「おめでとう」、そう言っているひとの笑顔を想像して、気がついたら私も微笑んでいた。

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