百葉箱2019年10月号 / 吉川 宏志
2019年10月号
まどかなる腹をへだてて触れ合へる未だまみえぬ兄と妹
益田克行
妹はまだ母のお腹の中なのである。妻の腹の皮膚をとおして、幼い二人が触れ合っている場面が、みずみずしくて心に響く。
日本の女の子はみな持つならんジャニーズ軸とう時間の軸を
中山悦子
ちょっとオーバーかもしれないがなるほどなと思う。アイドルの誰が活躍していたか、によっても時代は区切られていく。
献体をせし兄の「遺骨返還のお知らせ」とどく水無月あした
杉本潤子
献体だと、葬儀のときには遺体がなく、後で遺骨が返されるのだ。その時間のズレが、分かってはいても、とても寂しく感じられる。結句に救われる感じがする。
祝ひ水かけられ歩く加勢鳥の身ぶるひすれば我も濡れをり
中西よ於こ
「加勢鳥」は山形県の祭りらしい。体を震わせると水が飛び散る様子に臨場感がある。
足の先まで泣いている靴脱がせ靴下脱がせまた抱きしめる
宮野奈津子
子どもが「足の先まで」泣くという表現が新鮮。下の句の動詞が多い表現から、子育ての様子がいきいきと伝わってくる。
線香は公衆電話のコインです今日もあの世に繋いでもらう
宮本 華
発想がじつに斬新。そう言われてみれば、線香が燃えるのも三分間くらいだし、コイン一枚という感覚はよく分かる。
手洗ひに立ちたる君の座布団を直してやりぬ今はそれだけ
永山凌平
日常の何げない動作を切り取り、鮮明な一首となった。相手の前では何も言えず、目に見えないところで気遣うしかなかった。繊細な優しさが滲んでいる。
この町に住んだらきっとカーテンを開けて最初に見るだろう川
松岡明香
やわらかな口語調で歌われ、最後に「川」が不意に出てくるリズム感がいい。川の光がぱっと見えてくるような印象がある。全体に伸びやかで、快い一首だ。
うなづくやうに冬来し庭に光淡し木の根をよけて画架を置きたり
宗形 瞳
「光淡し」がやや言い過ぎかもしれないが、下の句のこまやかな描写がとても魅力的である。
皂莢(さいかち)坂にふり返るビルとビルの間(あひ)きゆうくつさうに夕陽の沈む
古屋冴子
「皂莢坂」という地名が効いている。「きゆうくつさうに」という表現も独特で、細い隙間から見える夕陽の姿が活写されている。
二か月の子はこもれびを作るごと手をひらひらと顔にかざして
百崎 謙
赤ちゃんはあおむけになっているのだろう。「こもれびを作るごと」が美しい。指の間でちらちらする光を、不思議そうに見ているのだ。懐かしい幸福のようなものが伝わってくる。
紅色の鳥居に書かれた「奉納」をギブ・ユーと訳したあなたと歩く
渡邊東都
留学生たちとの散歩だろうか。場面がいろいろと想像できて楽しい。「ギブ・ユー」に何とも言えないおもしろさがある。