短歌時評

たとえ都合が悪くても / 濱松 哲朗

2019年8月号

 五月号の時評で、「短歌」三月号の座談会における、寺井龍哉による野口あや子発言への言及方法について短く批判を書いたところ、当の野口から、「価値観レース」という言葉は既に「心の花」百二十周年のシンポジウムと「朝日新聞」のエッセイ(二〇一八年十月七日号「価値観レースの中で」)の二度、公の場で用いたものであるとの指摘が入った。言及された野口からすれば自身の発言を紹介する寺井の発言はたしかに有り難いものだったかもしれない。だが、より読者への便宜を考慮するなら、「野口あや子さんと話していたら」等という私的な会話を思わせる言い回しにせず、「心の花」や「朝日新聞」を典拠として提示することが、少なくとも座談会原稿の朱入れ時点で寺井には可能であったはずだ(しかも両者は「心の花」のシンポジウムではパネリストとして同席している)。野口から指摘が無ければ、筆者も「朝日新聞」の記事に行き着けなかった。読者に対して情報の在り処をきちんと提示することは、情報へのアクセスを読者に保証することでもある。
 勿論、個人の曖昧な認識や思い違いが訂正されずに残ってしまう場合は常にある。自分の例で恐縮だが、先日、外塚喬『実録・現代短歌史 現代短歌を評論する会』(現代短歌社)を読む会が開催された際に、パネリストだった筆者は歴史を「書かない」ことの事例として川野里子『七十年の孤独 戦後短歌からの問い』(書肆侃侃房、二〇一五年)における岡井隆の引用のされなさ\\\\について述べた。だが後日、「現代短歌」七月号のパネルディスカッション採録を読んだ知人から、「一箇所だけ出てくる」が「前衛短歌の歌人としては一度も出てこない」という筆者の発言は誤りだ、という指摘が入った。慌てて引っ張り出してみると、角川「短歌年鑑」の座談会参加者としての言及(一六九頁)以外にも、「葛原妙子、塚本邦雄、中城ふみ子、寺山修司、岡井隆、といった作者が登場して」という名前の列挙の箇所(六七頁)と、斉藤斎藤の「予言、〈私〉」に岡井の『斉唱』から一首丸ごと引用されているという言及(二〇七頁)の二箇所が確認された。塚本・寺山との扱いの差や、「私たちは近代アララギが造り上げた短歌世界に慣れすぎていると考えてもいい」(七三頁)という川野の指摘につられて見落としていたのだろうが、事実誤認であることに変わりはない。
 自身への反省をこめつつ改めて感じるのは、媒体を問わずあらゆる場において提示された情報に対するレスポンスが、自由に、かつ素早く行われている状態がいかに健全であるか、ということだ。「歌壇」七月号で堂園昌彦と佐佐木定綱がSNS以後の「息苦しさ」について触れているように、確かに「炎上や私刑がすぐに起きる」という側面は否定できないが、その一方で「声を上げやすくなって、批判がしやすくなった」のは、堂園の言う通り「昔は発言のハードルが高かった」からだろう。言い換えれば、あらゆる場において言論がフラット化しつつある、ということだ。筆者はSNSの私的領域と公的領域の〈あいだ〉的な場という側面が、〈自己/他者〉の二項対立や〈私〉の唯一性に対して揺さぶりをかけつつあるように見ている。さて、私たちの批評の言葉はどれだけ更新\\されているだろう。
 そんな中で、「詩客」の連載企画「短歌時評alpha」が一回限りで中止に追い込まれた。筆者はここで加藤治郎のミューズ発言批判を書いているので、至極残念である。そもそも、代表の森川雅美が問題の当事者である加藤に企画の是非を御用聞きした時点で(「詩客 短歌時評」五月四日更新分参照)、「詩客」の言論の自由は崩壊している。御上に都合の悪いものはここでも\\\\無かったことにされるのか。

ページトップへ