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カテゴリー "岡部史"

子供の頃、絵本はなかなか高価で、ほとんど買ってもらった記憶がない。
どの家庭でも似たりよったりだったので、不満も抱かず、外で泥だらけに
なって遊んでいたのだから、それもよかったのだが。

子供の本を翻訳するようになってから、「絵本のことば」「絵と言葉の関係」も
学ぶため、ずいぶん色々と買い込みました。肌になじんで、何度も読み返したくなる
絵本というのは確かにあり、また絵柄が素晴らしくて、ただ眺めているだけで
心が満たされる、という本もあり・・・。子供の頃、こんな本に触れていたら、
と、少々悔しく思う、という経験もいたしましたデス。

悪い子がいたずらをする場面だけ何度も絵本を読んでほしがる
                  川本千栄『樹雨降る』

子供が絵本と共に暮らす時間の濃さ、を思います。

先日、絵本作家の林明子さんの訃報を耳にしました。私は彼女の絵本が大好きで、
手元に置いて、眺めていることも多かったので、かなり落胆しています。
最近は確かに、新作が出ていないようでしたけど。ご冥福を祈ります。

先回に続き、麻布山善福寺について、ですが、実はこの寺は
安政6年(1859)に初代アメリカ公使館として使われ、
タウンゼント・ハリス初代公使と館員が滞在していたのだそうです。
境内にその記念碑を見ることができます。

ここからアメリカと日本との本格的な交流が始まったわけで、近代日本の
創造を模索していた福沢諭吉が、頻繁に出入りしていたそうな。
それで、この寺には彼のお墓がある、というわけでした。

ところで、この地で暮らしていた公使と館員らは、当然ながら生活の用を
麻布近辺で賄っていたわけです。食材を求めたり、お酒を飲んだりもしたはず。
それらの店舗はもう残っていないのですが、唯一、ハリスの散髪を担った
床屋さんが今も残っている、と聞き驚きました。江戸時代からの散髪屋さん!

前回「東京遊学散歩」についてかきましたが、その「広尾から麻布十番まで」の
散歩会の続きです。有栖川公園で休憩したあと、麻布氷川神社などをめぐり、
各国の大使館が立ち並ぶ地域を抜けて、たどり着いたのが麻布山善福寺でした。
少し高台にあるので、皆で登っていきます。当日の参加者は二十数人ほどでした。
奥にちらっと見える、少々奇怪な建物は、元麻布ヒルズフォレストタワー。

平安時代に弘法大師によって開かれ、鎌倉時代には親鸞聖人が訪れています。
それを機に、浄土真宗へ改宗したらしい。けっこう柔軟(ややいい加減?)
なんですねえ・・・。

境内には親鸞聖人が持っていた杖を逆さに刺したところ、枝葉がついて、
ここまで大きくなった、というさかさ銀杏の木が立っています。都内で
最古の木なのだとか。樹齢750年あまり、みごとです。

ところで、このお寺には、福沢諭吉のお墓もあります。
その理由などについて、次回に書くことにしますね。

先回の記事で触れた、「東京遊学散歩」の会は、私の都立高時代の同級生を中心に、
東京の町の歴史や地理、文化に興味を持っていて、かつお散歩で健康を保とう、と
いう意思を持つ人たちの集まりですが(単に、後の飲み会のため、という人も?)。

毎回、散歩コースと立ち寄り場所、その地域や施設の地理や歴史について、
詳細な説明と地図を掲載したパンフが用意されます。今回のお散歩は
「広尾から麻布十番まで」

これまで、広尾や麻布にはもちろん、出かけたことはありましたが、
駅の周辺だけ、または大使館(そう、この地区は大使館密集地)へビザなどの
申請に行く、という程度。でも、歩いてみると、意外な発見が次々に・・・。

これまでは気づかなかったのですが、意外に起伏の多い地域なのでした。
まさに、こんな歌のとおりでして。

 起伏見えざりし街区の路地に入りて思はぬところに石段がある
              真中朋久『エフライムの岸』

先月、この「東京遊学散歩」の二十周年を記念して、素敵な記念誌も作って頂き
ました。私もかつての日本橋界隈で行われたお散歩会で詠んだ歌を盛り込んだ
一文を掲載して頂きました。あまり熱心な会員ではなかったのに有難いことです。

岡部史です、こんにちは。

こちらは、東京都港区にある有栖川記念公園に立つ、新聞少年の像です。

昭和の中期、新聞配達の場に、多くの少年たちが活躍し、歌謡曲にまでなったのをうっすらと覚えています。
そうした少年たちを顕彰しようと建てられたものらしいのですが。

石道をホールへ急げばゆくりなく「新聞少年の像」にぶつかる
少年の学生服の胸うすし笑むとも言へぬ表情をせる
               村上和子『しろがね』

この作品を思い出したのですが、この有栖川公園の像とは違うみたいです。
だいたい、
私が写した像の少年は、学生服は着ていませんし・・・。それで調べてみると、
村上さんが「ぶつか」った像は、横浜の日本大通りにある像とわかりました。
他に、広島や富山にもこの種の像が建てられている、とわかり、少々驚きました。

私が学生時代にも、新聞店に住み込み、新聞配達をしながら大学に通う学生が
まだ少なからずいたことを思い出します。

都心の有栖川記念公園を訪ねるきっかけを作ってくれたのは、私の都立高時代の
同級生、古屋伸樹君と佐藤由希さんが中心になって活動している「東京遊学散歩
の会」に十年ぶりくらいに参加したからです。なんと、ちょうど先月で、二十周
年になると聞き、驚きました。私は初期の頃の数回を除き、ほとんど参加できて
いなかったのですけど。次回は、その遊学散歩の会について、触れてみますね。

岡部史です、こんにちは。

カメムシは、なんとなく、甲虫の仲間と思ってましたが。
調べてみると、コウチュウ目には含まれず、カメムシ目と
なっていました! その仲間の多いこと。 蝉まで含まれてました。

こちらは先日、我が家の玄関の前(郵便受けの上)で休息中だったカメムシ。
模様から、クサギカメムシではないか、と思っています。
古い焼き物みたいな、不思議な質感を保っている背中、
ちなみに、前胸背、小楯板、革質部、などと呼ばれる部位が
組み合わされてできているようです。しばらく見とれました。 

もうもはやどこに行きやうもなく不安 廊下のカメムシ転がして掃く
                   河野裕子『庭』

裕子さんに転がされたカメムシはどんなカメムシだったのでしょう?

岡部史です、こんにちは。

狭い庭ですが、家を建てたとき、憧れの夏柑の木を植えました。
ほとんど害虫がつくことなく、毎年百個以上の実がなります。

昨夏、枝の間に、見かけない緑色の物体をみつけ、
驚きました。小さな妖精のようにも見えてしばらく見とれましたデス。
美しいコバルトグリーンをしていたので、他の植物が寄生している?
とも思ったのでした・・。親指の爪を横から見たような、
その形も何とも整って見えて・・。何かの蕾のようでもあり。

調べてみると、これ、柑橘類の木につく、害虫でした!

その名もアオバハゴロモ。言い得てる! と名付けた人を
賞賛したいくらい。写真ではやや白っぽく映ってますが、
そのコバルトグリーンが、なんともいえず魅力的で。

でも害虫とあれば、放っておくわけにいかず、それなりの
処置をとらせて頂きましたが・・・。
思い出すたびに、その青、その形、どこかふんわりとした
触れたくなるような、外皮を思い出してしまいます。
虫ではなく、青い植物になるのなら、その先を
見届けたかったのだけれど・・・。 

やぐるま草の毳(けば)立つ蕾に青のいろ点(とも)れば青き花の咲くべし
                 花山多佳子『木香薔薇』

岡部史です、こんにちは。
先回、マリンライナーで高松入りしたところまで書きました。
今回はその続きです。高松を訪れるのは七、八年ぶりの二度目。

駅前が、ガラリ、と変わっていて驚きました。素晴らしい駅ビルができていて。
変わっていないのは、うどん人気ですね!

 

駅前のうどん屋さん、お昼が近づくにつれ、列が長くなっていきます。
私も実は、このあと列の後ろに並びました。どんなに長くても、
待たされる時間はそれほど長くないのです。うどん屋さんの手際よさは
圧倒的で、次々にうどんを温め、具を載せていって・・・。

お客の方も心得ていて、長居する人は少ないですね。
私はここで二度、昼食を摂りました。二度目では少し目先の異なる
うどんを注文しようとしたら「それは汁が少ないタイプ。いいですか?」と
確認され、慌てて変更することに。好みを見破られていた? それとも・・・。

 洗礼名イグナチウスの髭の濃さ讃岐うどんを食いおり今日も
               秋場葉子「塔 2003年3月号」

岡部史です、こんにちは。

昨年の十一月一日に高松市で行われた四国歌会に、
選者として参加してきました。我が家からは新横浜駅が便利なので、
電車を乗り継いで出かけることにしました。岡山まで新幹線、そして
マリンライナーに乗り換えて高松へ。瀬戸大橋からの瀬戸内海の景色を
楽しみにしていたのですが・・・。

外は激しい雨で、何も見えず(私、雨女です)。切符をそばに置いて、
ため息。ちなみに、我が家からは往復割で買えたのですが、この制度も
もうすぐ廃止されるみたいです。
快速マリンライナーは特急券は要らないのですね。それも知らず、
券売機の前で、ちょっとあたふたしたりもしましたが。

無事高松駅に着きました。マリンライナー、かっこいいです。  

都よりしおかぜ号で帰り来てああふるさとのまだらな灯り
             紺屋四郎『空行くような』

岡山から愛媛方面に行くには、しおかぜ号を使うのですね。覚えておこう。

岡部史です、こんにちは。

葛原妙子歌集『葡萄木立』のあとがきに

 旧約聖書の民数紀略の或る章に、竿をとほして人、二人で
 荷ふ程のひと房の葡萄の記述があることを聞いた。

とある。それで調べてみると、民数紀略の第13章23節に

 彼らつひにエシコルの谷にいたり其処より一球(ひとふさ)の
 葡萄のなれる枝を砍(き)りとりてこれを杠(さお)に貫き二人して
 これを擔へり   日本聖書協会『旧新約聖書』
 
とある。そのことがずっと心に残っていたので、イスラエルを訪ねた時
それはもう三十以上前になるのだけれど、こんな飾りタイルをみつけ、
購入してきた。

 

見るたびに、この迫力ある葡萄の姿に感動してしまう。
葡萄の歌も秀歌が多いですよね。 

たれか投げし命綱あり きらきらと葡萄実れるそらに光りぬ
                葛原妙子『葡萄木立』
ひとふさの葡萄を食みて子のまなこ午睡ののちのひかりともり来
                花山多佳子『楕円の実』

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