ブログ

カテゴリー "岡部史"

岡部史です、こんにちは。
一か月ほど前、我が家の玄関先に現れた一匹の昆虫。
ヨコヅナサシガメと呼ばれる、カメムシの仲間らしい。
カメムシとしては大きく、体長は数センチ。
目を奪われたのは、おなかを縁取る黒白の美しい模様。

昆虫には、シャチホコガみたいな、ごみの塊にしか
見えないような醜い(保護色なんだろうけど)種類も多いが、
こんなに綺麗なものもいて、つい見とれました。
他の昆虫に口を突き刺して体液を吸う、肉食系の虫らしいが。
それでサシガメと名付けられたらしいが、ヨコヅナは横綱?

虫の名前もいろいろで、 

年一度わき出だすごと飛び来たり浜を覆えるクロバネキノコバエ
               永久保英敏『いろくず』

にはちょっと驚いた。シイタケなどに食害を及ぼすため名称に「キノコ」が
入っているらしい。分かり易いけど、ちょっと長いかな。
ちなみにこのハエは幼虫が隊列を組んで行進する習性があるので、
「armyworm」とも呼ばれているそうである。

岡部史です、こんにちは。

国際タンカ協会(ITS)が年に二度発行している機関紙の最新の17号に
素敵な短歌とその英訳を、見つけました。
作者の川上幸子さん(短歌人)の許可を得て、転載させて頂きます。
実は仏語訳も併記されているのですが、少し長くなってしまうので、
残念ながらここでは割愛させて頂きました。

本多稜さんの最新歌集『時剋』は、「塔」五月号の短歌時評で、小林真代
さんも取り上げておられるので、併せてお読みください。

花と星と鳥と
Flower, Star, and Bird
             川上幸子訳
             tr. by Yukiko Kawakami

嘘いくついいわけいくつ吐きて来しくちびるに花花は紫陽花 
藤原龍一郎『夢みる頃を過ぎても』
how many lies
how many excuses
have these lips made up?
a flower to the lips
the flower is a hydrangea

星いくつ転移はいくつ病院の診察券がまた一つ増ゆ 本多 稜『時剋』  
how many stars,
how many metastases
have I got?
again I have got
another patient ID card

牧水の白鳥(しらとり)いくつ恋いくつ一つと疑はざりし若き日  川上幸子
how many white birds or
how many loves were there
for Bokusui?
it must have been only one ―
I never doubted it in my youth

英訳の方を読んでいると、私はボブ・ディランの「風に吹かれて」
を思い出してしまいます。高校生の頃に聞いた、ジョーン・バエズの声の
方で、ですが・・・。

岡部史です、こんにちは。

東京土産というと、私が子供だった昭和三十年代は、
中村屋のかりんとうとか、浅草の雷おこし、あたりが定番でした。
いずれも、素朴な味。形も色彩も、地味でした、はい。

はっと、気が付くと、東京バナナなるお菓子がずいぶん目に
つくようになっていて、驚きました。ふっくらとした小麦粉生地が美味しそう。
形も愛らしいし・・・。一度食べてみよう、と思いつつ。

売っているのは都内の駅なかの売店、或いは羽田空港あたりに限られていて。
なかなか買えないでいましたが・・。京都で行われたある年の編集会議の帰り。
新横浜駅の売店で見っけ! 何やら星形の模様入りの、「特別版」らしく、
定番が欲しかった私は躊躇したのでしたが。購入して食べてみました。
癖のない味がお土産としては無難なのかな~、という印象でした。

永田和宏氏を呼び止めた東京バナナは、どんな風貌をしていたのかな。

品川駅山手線へ急ぐとき東京バナナに呼び止められき
               永田和宏『某月某日』

岡部史です、こんにちは。

渋谷の道玄坂、東急文化村通りを行くと、ひっそりと
たたずむ碑があるのに気が付く方もおられるでしょう。
何やら殺伐とした都会の縁には似合わないその名も
「恋文横丁」 とは!? 

実はこのあたりは、終戦直後「道玄坂百貨街」とか呼ばれる
闇市ができていたらしいのです。近くの代々木公園内の
ワシントンハイツにはアメリカ兵が多く駐在していて、
兵士らと恋に落ちた女性たちのために、愛の言葉を伝えるための
代書屋ができ、一時は行列を作るほどの人気ぶりだったのだとか。
闇市の、ちょっとうらぶれた雰囲気が、わずかながら残っていますね。

時代は電話、そしてメールへと移り、「恋文」も死語化していますが。

 行間に独特の垢のこびりつく君の手紙に唇を寄す
              王生令子『夕暮れの瞼』

手紙の持つリアリティに、どっきりさせられた作品でした。

岡部史です、こんにちは。
以前に、このブログに、札幌市内でみつけた「お出しの自販機」について
触れたところ、小川和恵さんが「続編」を書いてくれたので、さらに
ちょっと驚いた自販機についてご紹介したいと思います。

まずは一年半前に訪れた山形県米沢市の街角でみつけた、
ジンギスカンの自販機。これは半調理状態のものらしい。
私の住む東京郊外では見たことないので、驚いて撮影しました。

自販機の表面の写真が日に焼けていて、綺麗に写せなかったのが残念。

米沢市を訪れた後、山形市へも出かけたのですが。繁華街でこんな
自販機に出会って、またしてもビックリ!

なんと、馬肉の自販機だったのです!私は子供の頃、山形県内に住んで
いたけれど、ジンギスカンも馬肉も食べた記憶がないのです。
山形の人って、肉食系だったのか・・と、愕然としました。

 いばらぎの断食男(だんじきをとこ)やせ男馬食(うまく)ひに来(こ)と
 諏訪人(すはびと)言へり            平福百穂『寒竹』

馬肉で有名なのは長野県ではないかな。知人がいて、訪ねていくと、いつも
ふるまってくれた馬刺しがとても美味でした。ちなみにこの歌の「断食男」とは
長塚節のことらしい。

今朝の朝日新聞一面の「天声人語」は、織物の魅力に
取りつかれるきっかけになったのが、四半世紀前にフィリピンの
ピーニャという布の織手を訪ねたことだった、とのエピソードで
始まっている。ピーニャ! 私にも懐かしい言葉である。

もう六十年も前のことになるが、中学に入学したばかりの頃、
父が一か月近く、仕事でフィリピンに出かけた。お土産に
数十枚もの、スカーフやハンカチを購入してきた。透き通るほど薄く、
光沢がある。いずれも南国を思わせる風物の刺繍が、手作業で
施されていた。父は広げて見せてくれて、
「パイナップルの葉の繊維から作られているんだ」と教えてくれた。

私も一枚欲しい、と思った。でも父は周囲の知人や親族にお土産として
渡しながら、私と妹には一枚もくれなかった。普段どこに行っても
お土産があったので、私には不思議なことだった。

五年前に父が亡くなり、やがて母も施設に入り、実家を整理していたら、
あの懐かしいピーニャのスカーフが一枚だけ出てきた。

今手にとって見ると、本当に薄く、実用品としてはどうなのか、
と思ってしまう。父も子供には不要なもの、として最初から
私たちに渡すつもりはなかったのだろう。父が亡くなって、
ようやく自分のものになったこのスカーフを、私は大切にしている。
必要なものはもう、自分で何でも買えるようにはなったけれど。 

膝の上にひろげむとして泳ぎ出す金魚の刺繍のストールを買ふ
               栗木京子『けむり水晶』

ピーニャは今ではとても入手しにくくなっているらしいし。

10月中旬に訪れた、札幌でのエピソードを、もう少し。
歌会の日の午前中は時間があったので、少し市内を散歩しました。
真っ先に目に飛び込んできたのは、不思議な自販機。私は自販機、
というと、お茶くらいしか買ったことはなく。 

自販機で買った緑茶がへこんでるゴールデンウィーク最終日
                逢坂みずき『昇華』

あの、ゴロゴロ、ドスン、という独特の音が聞こえそうな歌ですね。
ところが、札幌の街角で見た自販機は何を売っていたかというと、

料理用の調味料らしいのです。ここは札幌駅にも近い、ホテルやオフィスや、
居酒屋などが並ぶ、いわば繁華街。コンビニも近くに何軒も。それなのに、
どうして、お出しの自販機があるの!? 誰が買うの!? と訊きたい!

首を振りながら、さらに少し歩を進めると、ホテルの前に不思議なオブジェが。
とよく見ると、だるまストーブ?の一種のようでした。そういえば、これに近い
(こんなに立派じゃない)石炭ストーブ、私の通った田舎の小学校で使ってたような。

更に歩くと、かの狸小路に辿り着きました。アーケード商店街です。すると、
あちこちに狸の像が置いてあるのに気が付きました。中には、ちょっと驚きの
迫力を備えたものも・・・。

この商店街で、昼食を摂りました。もちろん、札幌ラーメンでございます。

先日、目白の椿山荘で開かれた、大学の同期会に参加してきました。
卒業十年ごとに開かれていたらしいのですが、一度も参加しておらず。
これからの参加もないだろう、と思っていたのですが。今夏、身近の
親族を失ってから、心境に変化がありまして。

椿山荘に行くのも初めて。ついでに、長いこと一度行ってみたい、と
思っていた、聖カテドラル教会を訪れてみることにしました。この教会は
丹下健三の代表的な建築物として有名なのですが・・・。

そそり立つ塔のような建物で、私の撮影技量では、なんとも捉えがたく、
間の抜けた写真しか撮れませんでしたデス。私がこの教会のことを
長く心に留めていた理由は、実は歌手ユーミンのある楽曲のせいです。
76年3月発売の「翳りゆく部屋」。バロック調の印象的なイントロは、
松任谷正隆がこのカテドラル教会のパイプオルガンの演奏による、
と後に購入したYUMING SINGLESの解説で知ったからです。

 話すことなどとっくにつきた高速で窓から漏れる夜風を聞いた
                 初夏みどり「塔十月号」

この作品に、永田和宏氏が選歌後記で「ユーミンの『中央フリーウエイ』がふと
過ぎる・・・」とコメントされていて、思わず笑いました。ユーミンが創出した
多くの楽曲と楽曲の描き出す映像を、我々同世代は共有している、と改めて思い。

敷地の隅に、フランスのルルドの洞窟が実物大で再現されていて、
こちらはそれなりにうまく撮れました。

高校に入学したばかりの頃、北海道に移り住んだ親族から、
10枚組くらいの絵葉書セットを贈られた記憶があります。道内各地の
観光地の絵葉書一枚ずつに、啄木の歌が添えられた絵葉書でした。
私は当時、啄木というと「ちょっと情けない歌を詠む人」という印象で、
好きではなかったのですが、その何首かに強く惹かれた記憶があります。
 

しらしらと氷かがやき/千鳥なく/釧路の海の冬の月かな
 さいはての駅に下り立ち/雪あかり/さびしき町にあゆみ入りにき
 みぞれ降る/石狩の野の汽車に読みし/ツルゲエネフの物語かな
                        石川啄木

特に好きだったのが
 

函館の青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花
                        石川啄木

で、この歌になぜ惹かれるのか、と考え込んだ記憶もあるのですが。
それで自分でも詠んでみようとは、ならなかったので、絵葉書の美しさ
などの印象の方大きく作用していたのか、と思うのですが。

こんな昔のことを思い出したのは、札幌の大通を散策し、啄木の歌碑に
出会ったからでした。

この歌碑の歌は 
 

しんとして幅広き街の/秋の夜の/玉蜀黍の焼くるにほひよ
                      石川啄木

そして少し歩くと、絵葉書で見たと同じ景色が目に飛び込んできて・・・。
まさに啄木の歌とセットで覚えていた景色でした。

十月の第二土曜日に開催された札幌歌会に、選者派遣として参加して
きました。会場は、北大のすぐ近くなので、歌会の前に、少し構内を散歩
させてもらうことに。本当に広いので、ぼんやりしていると歌会に遅刻して
しまいそう。農学部の周辺だけを歩くことにしました。

大きな木の間を、ゆったりと小川が流れていて、「え、ここが学内?」と
疑ってしまいそうなほど、豊かに広いのです。土曜日のせいか、学生よりも
部外者とか、遊びに来た子供達(ハロウイーンの服装をしていた)の方が
目につくくらい。観光客らしい人に「クラーク像はどこですか?」と、私の方が
尋ねられてしまいました。私、一度前に来ているので(って、半世紀も前ですが)
「あのあたりかな」と指さすことはできました。

歌会後は、札幌歌会の人たちと、夕暮れのなか、北大構内を北から南へ縦断して
二次会の会場へと歩いていきました。日はたちまち落ちて、真っ暗になりましたが、
若い人達の声があちこちから響いてきて、大学は良いなあ、としみじみ思いました。
今回は自作を引かせて頂くことに。 

キャンパスの日照雨(そばへ)のなかを永遠の学生のやうに学生が往く
                        岡部史

                
                     

ページトップへ