田中栄の「に」
相原かろです。
特集「助詞を考える」に関連して、助詞の話題をひとつ。
読んだ当時(13年くらい前)、とても感銘を受けて今でも忘れられないのが、
ある座談会記事での澤村斉美さんと吉田恭大さんとのやり取りです。
その座談会は「結社にふたたび出会う」(「塔」2013年10月号掲載)。
参加者は、澤村斉美・吉田恭大・安達洸介・大森静佳・藪内亮輔(司会)の各氏、
塔ホームページのアーカイブでも公開されています。
https://toutankakai.com/magazine/post/308/
この中で、塔の先輩歌人でもある田中栄さんの歌に言及した箇所があります。
指導工に辨当かくされて職習いし頃の物怖じが今に支配す
田中 栄『岬』(1973年、構造社)
この歌についての澤村さんと吉田さんのやり取りが面白い。
小見出し「田中栄と結社的〈読み〉」から部分引用します。
澤村 私のおすすめは田中栄さんです。二〇〇三年八月の東京の全国大会で名誉会員に推挙されるということで田中さんが登壇されたんです。挨拶で、私はアララギでやって来て……という話をされるわけです、結構体が大きくて。土屋文明の歌会がすごく厳しかったこととかを楽しそうに語られて、私は結社に入って初めてそのとき生で短歌史に触れた気がした。結社に入ることの一つの驚きというか未知との遭遇というか、全然自分が知らない短歌史を生きてきた人がいるっていう、その出会いが大きいですよね。『岬』っていう第一歌集の一首目の「冬田の上に落穂をひろう鶏(とり)の群日のある方へ移りつつあり」のように絵がぱっと浮かぶような写生の歌とか、職場詠も良くて、これは若いときの歌だと思いますが「指導工に辨当かくされて職習いし頃の物怖じが今に支配す」。ちょっとずつ引っかかる韻律ですよね。若い頃に自分の中に植え付けられたコンプレックスや暗い思いが今の自分の人格をも支配しているっていうことだと思うんですけど、説明的にずっと詠ってきて最後の「今に支配す」に重みがある。心情を韻律に託しながら克明に描写する、こういうのができるのがアララギなんだと学ばせてもらった気がします。本人とお話ししたことはないけど。
吉田 この「に」ってすごいですね。「今を支配す」じゃなくて「今に支配す」。
澤村 今になってとか今になってもなおっていう意味が含まれていると思う。(後略)
韻律や結句の重みを読んでいる澤村さん、
〈「に」ってすごいですね〉と応答している吉田さん、
ともに「すごいなあ」と、当時私は思いました。
自分なら「指導工に弁当を隠された」という事柄だけに注目してしまいそうです。
(事柄も大事だとは思いますが)
助詞を読むってこんなに面白いのか、読み方によってこんなに歌は豊かになるのか、と感じたやり取りでした。
(※ブログ筆者註:吉田恭大さんの「吉」の字は、下棒が長い「土」に「口」です。)
「塔」2026年8月号 p207に一首評募集広告が載っています。
引き続きよろしくお願いいたします。

