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アーカイブ "2026年04月"

こんにちは。
荻原伸です。

4月もいよいよ晦日。顔と名前をたくさんおぼえないといけない仕事をしているぼくにとって、春は、ちょっと大変な時期でもあります。ぼくはこの作業がとても苦手で、つまりは、記憶力に自信がないのです。

「世界史の資料集のあのページに載ってたなぁっておもって頭のなかで資料集を開いてさーっとめくると、そのページが見えてきて、さらにその画像の解像度がアップして知りたいところが拡大されてはっきり写真のようにでてくる」だから資料集や教科書をぱらぱらぁーっと眺めておけば暗記の問題には強いのだと言っていた友達がいました。脳によっては、そんな機能があったのか!とうらやましくおもったのですが、ぼくにはそういう機能は備わっていません。残念ながら。15年位前になるでしょうかドラマ「スーツ」をみながら、主人公マイクもきっとあの友達と同じ脳なのだろうなと思ったのでした。

教科書にでてくるものでくっきりはっきり覚えているもののなかに、アフリカツメガエル、キイロショウジョウバエ、ムラサキツユクサ、があります。この3つは、生物の教科書や問題集に、何かと出てきた記憶があります。それが実際どんな生態なのか、どんな大きさなのか、色なのかなどは知らないままに。文字というか音というか名前だけが記憶に残り続けていました。

それが、たまたまあるとき、「わーこれきれいな紫ですね」とそこにわんさと育っている植物を見ながらしゃべっていると、「これムラサキツユクサだよ」と教えてくる方がいました。なんと!これがあの、名前だけが記憶に残っていた、ムラサキツユクサでしたか!あなただったのね。(ソシュールも同時に出てきました!笑)

4月になって、顔と名前をおぼえなければとおもうとき、ムラサキツユクサのことがおもわれます。

河合 読者の側に立ってみても、いますぐ答えが出るというものはないですから、みんながいろんなことをひとつの体験として持って、もうひとつ先の答えをそこから自分で出していくということをしなくてはならんと思います。そう思って生きていかなくてはならないんじゃないかと。(村上春樹『約束された場所で』文春文庫版2001,pp277-278)

こんにちは。
荻原伸です。

なるべく現金をつかわない暮らしをめざしております。
というと質素倹約や清貧の思想、あるいは、自給自足はたまた中東情勢ゆえかなど思われるかもしれません。ノー。ただただ、リアルなお金をもち歩くことをしたくないというだけなのです。いつごろからか、数枚のカードが入る小さい財布がいいと思うようになりました。お店でいただくポイントや割引のカードも極力もたないようにし、あるいはそれらがアプリになっても「もってないんです」といって断るようになりました。理由という理由もないのですが。強いて言えば、自由、解放のため。あらゆることに縛られたくないですし、持たなくてもよいものはなるべく持ちたくないのです。

とはいえ、ミニマリストであるわけでもなく、スマートフォンにクレジットカードを登録しておけばクレジットカードももたなくていいとまでは思えません。●●円以下のときは現金でお願いします、とか、物理的なカードをここに差し込んでいただかないと、などというときもありますから、やっぱりカードは持っておかないととおもってしまう自分がいます。クレジットカードだけでなく、銀行や図書館やマイナカードや病院のカードも持っておきたくもなります。なるべく持ちたくないといっておきながら。。。結局なんなの?とおもわれてしまいそうですが。はい。小さい財布がいいんです。

財布には夫の名刺を入れておくお守りといふことにあらねど/栗木京子『夢のあとさき』2026

こんばんは。
荻原伸です。

仕事をしている席のそばの窓辺にハオルチアを置いています。置いているというべきか育てているというべきかもしれませんが。ともかく何もいわないハオルチア。でも、冬をすぎて春になると株の中からびゅーんと茎がのびてきてちゃんと花を咲かせます。小さな白い花が今年も咲きました。

ハオルチアの花が咲いた先日、NHK鳥取放送局で「今夜は生でさだまさし」の公開放送がありました。
https://www.nhk.jp/g/ts/GL9MWGM3J5/

ひとつきかふたつき前に、偶然このことを知りました。そこに、観覧ご希望の方はこちらというふうにハガキを出さなくても観覧の応募ができるようになっていました。ぼくは熱烈なさだまさしのファンでもはないのですが、この「生さだ」の深夜ラジオのような感じがとてもすきで家族が寝静まったころにひとりリビングで観ています。そんなこともあって、ほいっと観覧希望の応募をwebでやってしまったのでした。抽選の結果は当選した方だけにメールしますというようなことが書いてあったことは覚えておりますが、いつがその日かもわすれていたころに、メールが届いたのでした。当選。

当日は夜11時15分に集合。早く来すぎても遅くてもだめで、ちょうど11時15分をめがけてきてくださいというお達しのとおり行きました。深夜なので警備の方が誘導灯をもって案内してくださいます。IDなどのチェックもあって、収録のスタジオへはいっていきますと。パイプ椅子が30席くらい。MCのさだまさしさんの席からはわずか2メートルほどの距離。というすばらしい体験をいたしました。ハオルチアの咲く夜に。

何年かわが庭に咲きてありたりしほととぎすの花もいつか消えしか/小池光『サーベルと燕』2022

 

こんばんは。
荻原伸です。

NHKの大河ドラマを今年はたのしんで観ています。
世の中の歴史好き、戦国マニアのみなさまはどうでしょうか。
歴史好きのぼくの先輩とある夜飲みながら楽しくすごしておりましたところ、話題が「豊臣兄弟」に。えーっと、なんだかだと史実と比べて気になってしまうところがあって観てないということでした。うーん。スペシャリテのコーヒー豆が大好きで、でも、インスタントコーヒーも飲んじゃうようなぼくにはなかなか到達できない高い峰があるようです。はい。

峰といえば、いいえ、峰という程でもないのですが、鳥取に太閤ヶ平(たいこうがなる)という場所があります。標高は250メートルくらい。ここは、豊臣秀吉が鳥取城を兵糧攻めで落としたときに本陣をおいたといわれているところです。
https://www.asahi.com/and/travel/article/15805803

もう随分と前になりますが、鳥取では砂丘・ほたる歌会というものを実施していました。歌会のあとに蛍の群生を見に行きましたところ、それが樗谿(おうちだに)公園。そこに鳥取東照宮(むかしは樗谿神社とよんでいました)があります。太閤ヶ平へ登る道は、ここ樗谿の鳥取東照宮からスタートします。

先日、4キロに満たないほどのコースを歩いて太閤ヶ平へ行ってきました。熊や猪に出会わぬようにと思いながら登りゆくと、ああなるほど、秀吉はここから鳥取城を眺めていたのだとおもえるほどみはらしのよいところでした。

イノシシが通報されつつ行きしとふ川沿ひの道われも歩めり/大口玲子『スルスルコルダ』2025

 

こんにちは。
荻原伸です。

4月も残すところ数日となりました。
ぼくの職場はとにかく4月があわわわわわという感じなので、GWまでを乗り切れたら本年度も半分くらい終わった!という気持ちになります。ほんと。

そんな4月のスマホを振り返って見ていると、麒麟獅子の顔のお煎餅の写真がでてきました。ぼくが住む鳥取市界隈は因幡の国。因幡地方の獅子舞の獅子はほぼすべて麒麟獅子です。
https://youtu.be/54P6i9tCAJ8?si=ovnepQW_lSmUAzim

うちの近所では、神社で舞ったあとに一軒一軒の家をまわって舞ってくれます。そうしてその獅子にあたまをぱくりと噛んでもらうと賢くなるなどといういわれがあります。一軒ずつの舞いは神社のそれにくらべればしゅっとコンパクトなショートバージョンなのですが、今年きてくれた獅子舞のひとたちにたずねたら全部で450軒くらい回るのだということでした。たいへんなことです!

さて、獅子舞が来てくれる当日。我が家にはぼくひとりだけしかいませんでした。もちろん頭をぱくりと噛んでもらったのでした。(が写真を取ってくれる人はいませんでした)

暴れ獅子の通り過ぐればお祭りも果てて帰りの支度をせむか/小林信也『翼端小翼』2025

岡部史です、こんにちは。

狭い庭ですが、家を建てたとき、憧れの夏柑の木を植えました。
ほとんど害虫がつくことなく、毎年百個以上の実がなります。

昨夏、枝の間に、見かけない緑色の物体をみつけ、
驚きました。小さな妖精のようにも見えてしばらく見とれましたデス。
美しいコバルトグリーンをしていたので、他の植物が寄生している?
とも思ったのでした・・。親指の爪を横から見たような、
その形も何とも整って見えて・・。何かの蕾のようでもあり。

調べてみると、これ、柑橘類の木につく、害虫でした!

その名もアオバハゴロモ。言い得てる! と名付けた人を
賞賛したいくらい。写真ではやや白っぽく映ってますが、
そのコバルトグリーンが、なんともいえず魅力的で。

でも害虫とあれば、放っておくわけにいかず、それなりの
処置をとらせて頂きましたが・・・。
思い出すたびに、その青、その形、どこかふんわりとした
触れたくなるような、外皮を思い出してしまいます。
虫ではなく、青い植物になるのなら、その先を
見届けたかったのだけれど・・・。 

やぐるま草の毳(けば)立つ蕾に青のいろ点(とも)れば青き花の咲くべし
                 花山多佳子『木香薔薇』

3月の最後の土曜日、北摂歌会のみなさんと吟行に出かけました。京都市動物園。
その報告はまた「方舟」や「歌会記」として誌面に載ります。

次のつぎの日曜午後と言い合わす大人ばかりで行く動物園/石本照子『山法師』

今回は日曜ではなくて土曜。大人ばかり。
参加者のそれぞれの作品は、夏頃には概ね発表されるのではないかと思います。お読みいただければありがたいことです。
ここでは、動物園を題材になっている作品をいくつか。

動物園寂(じゃく)として暑し檻ならぬ切符売場に切符売る女(ひと)/高安国世『虚像の鳩』

まず、切符を買わなければなりません。切符は、今は券売機。ただ、ここの券売機はいささか反応が鈍く、タッチパネルを〈げんこつ〉で軽く叩かなければならない状態。何とかしてほしいものです。

水浴びの象の嬉々たる遊びぶり共感す子供も子供の父も/内藤定一『鳥の国より』

ばっしゃーん とゾウが水に入れば、これはもうホモサピエンスの歓声があがります。

群れながら女の湯浴みするやうな王子動物園フラミンゴの池/石原安藝子『モナリザの声』

ここの動物園のフラミンゴのなかの最高齢は60歳を超えているとか。飼育下ではけっこう長生きするとはいえ、なかなか。ずっとここにいるのか……と思いを寄せる人もいらっしゃいました。
面白いのは、鏡があること。数の多い群れで生活する鳥なので、鏡で数が多く見えるようにしているのだとか。
なんだか、鏡があるということも大浴場のようです。

吾子がゆく動物園の春の雨傘かぶりわれもゆかましものを/三ヶ島葭子『三ヶ島葭子全歌集』
癒えむ日は動物園に伴(つ)れなむと兒に言ふ妻を疑はざりし/鈴江幸太郎『海風』
迦陵頻伽の声におびゆるおさな児は在りし世に動物園を知らない/澤辺元一『燎火』

動物園の歌を探していると、寂しい歌、悲しい歌もけっこう出てきます。
病気のために娘(倉片みなみ)といっしょに動物園へゆけない三ヶ島葭子、病没した妻の最後の日々を思う鈴江幸太郎。
そして澤辺元一の亡き子を偲ぶ歌。幼くして亡くなったので動物園へ連れて行くこともなかった。


動物園といえば、この歌。

動物園に行くたび思い深まれる鶴は怒りているにあらずや/伊藤一彦『月語抄』

しばし鶴のところで、表情を窺ってしまいました。

佐佐木幸綱『群黎』冒頭「動物園抄」も忘れがたい作品群です。その末尾

荒々しき心を朝の海とせよ海豹(あざらし)の自由いま夢の中/佐佐木幸綱『群黎』
                 自由を与えないで下さい 〈出口なし〉

注釈のように「自由を与えないで下さい」「〈出口なし〉」がつく作品。
ちゃんと出口があって帰ってくることができました。

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