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 短歌作者が何かひとつの結社の属して、真剣に作歌に取り組むことの長所を、私はよく心得ているつもりである。(…)それぞれ共通点をもち、信じ合える同士が集まって修業することができるのは現代、数すくない喜びのひとつでさえあろう。
 ただ、それはあくまで、たがいに刺戟し合って、よりよき歌を作り、短歌をつねに生き生きと、未来にむかって推進する母胎となる意味において認められるべきであって、本末を顛倒して、結社を維持し、歌風を守ることに終始してはなるまい。
 めいめいが独自な自己を問いつめ、生き生きと現代を呼吸して、短歌の未来を切りひらいてゆく覚悟をもたねばなるまい。結社を超えて、自由な批判や議論がなされなければならない。きびしい、さわやかな風よ起これ。
高安国世著『短歌への希求』に収められている「結社時代への危惧」より。
初出は「毎日新聞」1967年1月26日。今から50年近く前の文章だが、現在にも通じる話であろう。

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