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今朝の読売新聞の長谷川櫂さんのコラム「四季」は、栗木京子さんの歌でした。
半開きのドアのむかうにいま一つ鎖(さ)されし扉(と)あり夫と暮らせり
第1歌集『水惑星』の歌ですね。
「(…)恋人、夫婦といっても所詮は他人。いつもそばにいる大きな謎。この歌のように。」

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  • 黒田長宏 より:

    おはようございます。
    疑念や、ボクシングで言えば1ラウンドの探り合いみたいな心理が働く女性はまだ良いのです。しかし、援助交際を平気でやってしまうような女性は、自動ドアかドラえもんのどこでもドアみたいなものですよ。内容は読んでいませんが、タイトルだけでは、石川達三さんに『開きすぎた扉』というのがありますが、きっと精神的な面の他にも肉体的にも、「開いてしまう」という暗喩があるのではないかと思います。石川さんなどはすでに60年前には、日本人の性のオープンのし過ぎについて懸念をしていました。一見すると不健全な歌かなと感じますが、よく思えば、心身ともに開放的すぎる人たちよりも健全な心理かも知れません。

  • 松村正直 より:

    コメントありがとうございます。ちょっと栗木さんの歌とは離れた話になってしまいますね。

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