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文学を始めてから、いい言葉を集めることが趣味になった。
そこから歌を発想することもしばしばある。
いまメモを見返してみるとなかなか面白かった。
鳥肌を超えて鳥になりそう(You Tube、ライブ動画のコメント欄)
壊れかけのアーチには重しを載せる(?)
お客様がお寝になっているので出発は少々お待ちください(JR車両内)
皆様右側をご覧ください、虹が出ております(JR南武線?)
夜空の警備員(ラジオ)
地上にあるもの、その一切が燃えている(『世界−海』城戸朱理)
このようにわれわれがまだ持つことのできた幻想は次から次へと消え失せて行った。しかし、今やわれわれの大部分を襲ったのは全く予期されないものであった。すなわちすてばちなユーモアであった!(『夜と霧』)

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  • nakamura より:

    なかなか面白いですね〜

  • まなか より:

    刺激的なタイトルだな。計画的犯行?

  • 松村正直 より:

    「茸狩り」や「蛍狩り」のような意味で使っているのかな。「言葉狩り」というと、どうしても
     ぼくんちに言語警察がやってくるポンポンダリアって言ったばっかりに /加藤治郎『ハレアカラ』
    の方を思い浮かべるのだけれど。

  • やぶうち より:

    その通りです。紅葉狩り的なイメージでした。なるほど、言語統制みたいなとられ方をするのですね。
    世代間の差なのでしょうか…?

  • 永田淳 より:

    いや、この感覚のズレを世代間の差にすり替えるのはよくない、ような気がする。

  • 松村正直 より:

    まあ、時代的な差はあるでしょうね。そう言えば「言葉狩り」という言い方は、最近あまり耳にしないような気がします。
    社会的によく取り上げられていたのは、1993年の筒井康隆の断筆宣言に至るころでしょう。加藤治郎さんの作品も1993年のもの。
    本を検索してみても、週刊文春編『徹底追及「言葉狩り」と差別』、湯浅俊彦『「言葉狩り」と出版の自由』、すが秀実『「超」言葉狩り宣言』など、いずれも1994年出版のものです。
    この当時、僕は社会人になっていましたが、藪内さんはまだ幼稚園くらいでしょう。やはり、その差はあるのではないかと思いました。

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