梅田界隈
大阪・梅田エリアもずいぶん変わった。
もう何十年も、どこかが工事しているという感じで、いっこうに落ち着かないが、この作品は1950年代。
OSAKA STATIONのネオンがまるい肩をうき上らせる まぶしさに寄添いながら/宮崎信義『交差路』
戦中に(未完成のまま)営業を開始した3代目の駅舎は、南側の正面から見て凸型。中央に時計、右肩の部分に「OSAKA STATION」とシンプルでまるみを帯びた書式で、なかなかスタイリッシュなものだったようだ。
4代目というか5代目というか、高層ビルをばんばん建てた今の姿しか私は知らないが、これはもはや駅だかなんだかわからない。
駅の北側も、高層ビルが林立するようになってきて、さらに再開発が進行中。新大阪から大阪駅を通らず和歌山方面に向かう線路は地下化するのだという。
この線路は貨物ヤードだったところの西端を通っていて、もともとは貨物用の支線。安治川口の貨物駅に出入りする貨物列車が今でも一日に5往復ほど設定されている。
地下化されれば西梅田のこの踏切もなくなることになる。
間近に貨物列車を見ることのできる場所の一つであるのだが、交通の障害であるし、鉄道側にとっても踏切というのは難所の一つなのだから、仕方がない。
この近くにもうひとつある環状線・福島駅下の踏切は、高架線への傾斜の途中にあって、無くすことができないらしい。既に多くの道路が交錯する中の線路であるので、なかなか難しい。
このあたり、昭和初期まで堂島川、道頓堀川から水路が入って、貨物ヤードの中に船だまりがあったことが古い地図で確認できる。
鉄道貨物は、小船に乗せ換えて市中の倉庫や店、工場に運ばれていったのだった。
さらに古い時代。地名「梅田」=「埋田」というのはよく知られているが、江戸時代には墓地としても知られていたらしい。
貨物ヤード跡地の再開発にあたって発掘したところ、たくさんの墓石や人骨、副葬品がでてきたという。
http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/kyoiku/0000413269.html
まさに、このあたり。
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