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春のような陽気だった昨日の鴨川の河原。

大きな木は、栴檀(センダン)です。

別名アフチ、オオチ、オウチとも。

楝色(おうちいろ)は、栴檀の花のようなうすい青紫色のこと。

 

センダンと言えば、「栴檀は双葉より芳し」。

栴檀の木が、まだふたばの頃からよい香りを放つように、大成する人物は幼少期からすぐれた素質を見せるもの、という意味合いですが、実はこれはインドの栴檀(香気の強い白檀)のことで、日本の栴檀は別物とのこと。

さらに、インドの栴檀でもふたばの頃は芳しくはないそうで、なんともややこしい諺なのでした。

枝に残った栴檀の実。

 

さて、この「せんだんはふたばよりかんばし」の「より」を、実は私はかなり長い間、「栴檀は双葉よりも芳しい」と「比較」の意味で取っていました。

 

なぜ「栴檀」という植物名と、「双葉」という植物の成長段階とを比べているのか、比較対象同士の性質やレベルが違いすぎて変じゃないか?と、ずっとぼんやりと不思議に思っていたのです。

はずかし。

間違いに気づいたときは、ええーっ、そりゃそうか、と妙に納得しました。

 

格助詞「より」にはいろいろな用法がありますが、今回は「動作や作用の起点」(双葉の頃から)と、「他との比較、対照の基準」(双葉よりも)とがごっちゃになったものでした。

 

同じ「より」で、私はまた別の思い違いをしていたことがあります。

子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」

穂村弘『シンジケート』

穂村弘さんの超有名な一首。

上の句は、「子供をつくるよりも、シンジケートをつくろうよ」(比較)と取るのが妥当だと思うのですが、私は十代ではじめてこの歌を読んだとき、「子供から、シンジケートを作ろうよ」(起点)と読んでいたのでした。

大人ではなく、子供たちのほうから立ち上がって声をあげようよ、という雰囲気。

解釈の間違いに気づいたとき、これまた、ええーっ!びっくり、なるほど、と納得したものでした。

「より」、むずかしいですね。

 

 

 

 

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