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(文明は土屋文明です。念のため。)
日本でクリスマスを祝うようになったのは、いつ頃からのことなのだろう。少なくとも文明(1890年生まれ)が子どもの頃にはなかった習慣のようだ。
  クリスマスの樹(き)を喜べる子供等よわが幼(をさな)きには
  いたく変れり
『往還集』より。昭和4年の歌。
この頃にはクリスマスツリーなども見かけるようになって、文明の子供時代とはだいぶ様子が変ってきていたらしい。
けれど、戦後になっても文明にとってクリスマスはなじめない(?)ものだったようで
  クリスマス知らぬ老われ正月を待ちて日向に梅に水かふ
と詠んでいる。『青南集』より。昭和30年の歌。
クリスマスは無視して正月を待っている。これは「迎年の賦」という一連にある歌で、他に「もち食ふを喜びとせぬ幼等よすでにお正月のこころにあらず」という歌もある。この幼等は孫たちのことだろう。世代のギャップがあらわである。
結局、明治生まれの文明にとっては、クリスマスよりも、もち(=米)を食べるお正月の方が、はるかに大切なものであったということだろう。
  

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  • たにぐち より:

     大正14年(1925年)生まれの相良宏に
     うら若き父母を想へばやはらかき頬を聖樹の灯はてらすべし
    という歌があります。彼は東京都出身のようですから、昭和初期、大都市では家庭でクリスマスを祝う習慣が広まっていたのでしょうね。

  • 松村正直 より:

    大正元年の木下利玄の歌に
     明治屋のクリスマス飾り灯ともりてきらびやかなり粉雪降り出づ
    という歌がありました。歌集『銀』より。
    この銀座の明治屋のクリスマス飾りというのが、当時かなり有名だったようです。

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