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1987年2月号、永田和宏「「桃二つ」原歌」。
 世評高い作品というものがある。高安国世における
  桃二つ寄りて泉に打たるるをかすかに夜の闇に見ている 
という作品も、さしずめその典型的な一首である。岡井隆との論争によって有名になった一首でもある。その原型が、「桃二つ寄りて噴井に打たるるを」であることを、藤重直彦の保管する〈京都学生短歌会〉の詠草録によって、最近見つけた。
 
この歌は高安の第7歌集『街上』に収録されているもの。最初に歌会に出された際には「泉」のところが「噴井」であったというわけだ。「噴井」は「ふきい」または「ふけい」と読むらしい。
「噴井」と「泉」では随分と印象が違う。実際に京都の高安邸の庭には人工の池(?)があったそうで、それがこの歌の元になっているわけだが、それを「噴井」と詠むか「泉」と詠むかで、歌から受ける印象は大きく変ってくる。

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  • 村上 より:

    ジャニーン・バイチマン訳『折々のうた 対訳』(講談社バイリンガルブックス刊)に「桃二つ〜」が載っています。
    Tow peaches
    draw together,rained on
    by a spring
    and dimly,through
    the darkness,I am seeing….
    Takayasu Kuniyo
    「泉」がspringとも言うことを知りませんでした。もし原型のように「噴井」とあったらバイチマンさんはfountainと訳されていたかもしれないと、松村さんの「埋め草その3」を読んで思いました。OXFORD引いたら、なお分からなくなりました。seeingと韻を踏んでいるの?日本語→英語に訳すときのルールは? 泉と噴井から新たな?がたくさん湧いてきました。

  • 松村正直 より:

    英訳だと「打たるるを」が rained on (雨に打たれ)になっているのもおもしろいですね。確かに、この歌は「雨中泉」という一連に入ってますし、次の歌が〈暖き驟雨のなかに泉一つ噴きやまず地下の冷たき水を〉なので、雨の場面なわけですが。
    sprngとfountainの違いはちょっとわからないです。「噴井」は「水の吹き出る井戸」という意味なので、実際は人工の池というより井戸のような場所なのかもしれません。井戸だったらwellでしょうか。
    連作3首目に〈わが妻が掘らせし泉見つつあれば暖き雨に母の香りす〉とあって、この泉(井戸?)が人工のものだとわかります。「泉」というと、何だか自然のものをイメージしますが。

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