ブログ

土屋文明とクレソンについて、最後にもう少しだけ。
文明は戦時中の昭和20年6月、群馬県吾妻郡原町大字川戸に疎開する。そこでの生活を文明は「川戸雑詠」というシリーズで何度も歌に詠んでいる。
 朝々に霜にうたるる水芥子(みづがらし)となりの兎と土屋とが食う
                           『山下水』
疎開生活の中で文明が、水辺に自生する水芥子(=クレソン)を食用としていたことは既に述べた。この歌は昭和20年初冬のもの。
その後、文明は昭和26年11月に六年あまりにわたった疎開生活を終えて、東京の青山南町に帰住する。戦後の食糧難も次第に改善していただろうし、もう自生する水芥子を食べる生活ではない。
そんな文明が、昭和29年に意外な場所で水芥子と再会するのである。
 百貨店に束ねて売れる水芥子(みづがらし)来る度来る度寄りて見る
                          『青南集』
疎開時代に食べていたクレソンと同じものが、東京の百貨店に恭しく売られているのを見て、文明は感慨深く思ったのだろう。下句の「来る度来る度寄りて見る」に、懐かしいような訝しむような気分がよく表れている。
そんなに気になるのなら、買えばいいのにね(笑)。

コメントを残す

ページトップへ