馬頭観世音
年末年始の帰省は妻の実家に2泊、私のほうの実家に2泊。
甥っ子と歩いた裏山に「馬頭観音」がある。
生きものの死にしを祀(まつ)る人一人ありたるを知る馬頭観世音/宮柊二『若きかなしみ』
これは宮柊二の初期作品から。
「馬頭観音(馬頭観世音)」が道ばたにあるのは、人間のために仕事をしていた馬が、そこで斃れたのだと言われる。
今となっては薮に覆われてしまいそうな山道だが、なるほど馬を引いて行き来できないほどでもない。
海沿いの村と内陸の村をむすぶ、それなりの交通路だったのだろう。
石碑の建立は一人の仕事だったのか、そこで流通に携わる人々、あるいは村の総意に基づくものか。
牛馬商一同建てしとある墓の文字うすれたる「馬頭観世音菩薩」/村松建彦『ナナメヒコ』
いろいろな建立経緯はあるだろうけれど、少なくとも一人は、死んだ馬を思い、それ以後の通行の安全を願って、この場所で祈ったのだろう。
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