松の廊下
徳川光圀『常山詠草』に、こういう歌がある。
けふはいざ花にあるじをゆづり置きて我もまとゐの數に入らなむ/徳川光圀
光圀の歌については、いずれまとめて書くつもりをしているのだが、この歌なども、なかなかに良い。春の花の時期には必ず思いだす歌としていちばんに書きぬいたもののひとつ。
亭主として客人を迎え、庭の花の見事さを誇らしげに見せながら、自分もまた客人たちとの円居に加わろうという。現代よりも立場の上下がずっとはっきりしていた時代の、主人と客である。
この場の客人は、詞書によれば「檀那院僧正畠山下總守などとぶらひきて翫花といふことを」とある。「檀那院僧正」というのは、日周とか日乗といった日蓮宗僧侶ではないかと思う。「畠山下總守」は畠山義寧。「松之廊下事件」(「赤穂事件」「忠臣蔵」の一場面とか 元禄14年=1701年)の際にその場に居合わせた人と伝えられる。
花見の宴が事件より前なのか、後なのかもよくわからないが、松之廊下事件をさかのぼること十五年ほど前の江戸城での刃傷沙汰(堀田正俊が稲葉正休に刺殺された事件、1684年)の際に、光圀が「実行犯をその場で切り殺してしまったのでは実態解明ができないではないか!」というようなことを言ったらしく、その反省があったのかどうか、松之廊下では、浅野長矩(内匠頭)は梶川頼照(与惣兵衛)らによって取り押さえられた。
いっぽう吉良上野介は畠山義寧らによって別室に運ばれて介抱される。その場にいた医者は、どちらかといえば内科で刀傷治療の応急処置も難しく、急ぎで呼び出されたのが南蛮流の栗崎道有。金創(刀創)治療の専門家である。畠山義寧の書いた至急呼び出しの手紙が残っている。そしてまた栗崎道有が吉良上野介を治療した記録も残っている。
これがじつに面白い。少し検索すると翻刻して紹介されているテキストを読むこともできるのだが、まず「熱湯」で傷を洗ったとあることに驚く。現代語の「熱湯」ならば消毒に使うのかと思うが、どうやら当時は火傷をしない程度の湯も「熱湯」であったらしい。創口の程度とか縫合したということも書かれいる。
その場の様子を想像していると、何やら言葉が歌のかたちになってくる。不完全な拙作を晒すのもどうかとおもうが、
吉良殿の額六針背は三針(みはり)薄め茶を傷口に……
のように四句めまでつくって、はたと困る。翻刻された原文は「ウスメチヤヲ付フタニモ薬リヲ付ル」とあって、「ウスメチヤ」は現代語訳では「薄め茶」とある。縫合のあとを洗うように使ったのかと理解して「薄め茶に傷口を洗へり」とかしてみた。そういえば茶にも抗菌効果があると気付いて心が動くわけだが、しかし「ヲ付」はどういうものか。
あれこれ悩み、栗崎流金創術に関する論文などを拾い読みしたりして、もしかしたらそういうことかとおもったのは「メイチヤ」という語彙。京都大学所蔵版「栗崎流外科専方」を見ると、そこそこ頻出する。これは中国語由来の読み方の「棉條」のことであるらしく、細いものは膿汁を吸い出したりするような場面で使われるらしい。「棉條」は現代中国語では女性の使う生理用品のことを指すようだが、機能は近いだろう。
薄め茶にあらず薄棉條(ウスメイチヤ)今ならば傷口にあてるガーゼのごとし
もとより、医学や医学史の専門家ではないから、確実なことは言えないが、私個人としては、すこしすっきりした。ガーゼをあてて、そのうえから薬をつけるというのも、傷口の状態とか薬の性質によっては、あるのではないと思う。
わが家の応急処置セットの中にあるものならば、「滅菌パット」が、似ているような似ていないような。

参考
http://chushingura.biz/siryo/siryo02b.htm
http://jshm.or.jp/journal/64-4/64-4_note_1.pdf
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00002121
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