曼珠沙華
九月中旬頃、自宅からすぐ近くの自然公園の中で撮影したもの。
自然のまま残されているので「公園」ではなく「××山」と呼ばれてます
訪れる友人は「武蔵野の雰囲気、残っているね!」と感激するけど、
実は「残っている」のではなく「残している」のです。自治体と、
自治会で「手を加えない」という条件で地主から借りているから。
九月になると、まるで「曼殊沙華の苑」と呼びたいくらい、大量に
咲きます。歌に詠みたいけれど、けっこう難しい。何しろわれらが
主宰にはこんな名歌も詠まれているし。
風を浴びきりきり舞いの曼殊沙華 抱きたさはときに逢いたさを越ゆ
吉川宏志『青蝉』
異名が沢山ありますね。その名称が活かされている歌も。
何か埋まる印のごとく彼岸花四五本ほどが道の端に揺る
小林信也『合成風速』
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