三塁からの全力疾走
ある原稿を書くために「短歌用」-「原稿・エッセイ等」というフォルダを開けたところ、幻の(!)(と言うほど大げさではないけど)の原稿が見つかりました。
元々「方舟」にでも投稿しようかと思って書いたものですが、「方舟」の文章にしては少々長すぎるし…と思っている内にお蔵入りになってしまったものです。
書いたのは2017年1月。
その前年の2016年にほっともっとフィールド神戸に野球観戦に行ったときのことを思い出しながら書いた文章です。
「ほっともっとフィールド神戸」は、昨年5月に書いたブログ「神戸の休日② ほっともっとフィールド神戸篇」でも取り上げたところです。
久しぶりに読み返してみて、(自分で言うのもなんですが)結構面白かったので、ブログ当番に当たっていたのを奇貨として、ここに投稿しちゃいます。
結構長いので、もしも興味がおありでしたら、お読みいただければ有り難いです。
******** (以下、当時の文章の引用) *******
三塁からの全力疾走
昨年の三大ニュース(注:2016年12月号)で「憧れのほっともっとフィールド神戸のフィールドシートで野球観戦…」と書いた。
本当にあれは素晴らしい体験で、目の前を選手が駆け抜ける様、ものすごい打球が飛んでいく様を見るのは、野球好きにとって堪えられない贅沢な時間である。
さて、この観戦ではプレーそのものが面白かったのはもちろんだけど、それとは別にひどく感動する出来事があった。
それは埼玉西武ライオンズの木村昇吾選手の全力疾走である。
木村選手は、その前のオフに広島東洋カープからFA宣言をして移籍を目指した。
ところが、どこも獲得しようという球団が現れなかった。
宣言したのに移籍先が見つからないという窮地に追い込まれてしまったまま年を越してしまったのだが、そこに救いの手を差し伸べたのがライオンズだった。
2月のキャンプで入団テストを実施、木村選手はそれに見事合格し、晴れてライオンズの一員となった。
木村選手は内野ならどこでも守れるというユーティリティプレイヤーで、内野がやや手薄であったライオンズにとってもいい補強であった。
ちなみに、FA宣言をしながら他球団にテスト入団するというのは、FA制度始まって以来のことらしい。
ライオンズの正三塁手は、元々主砲の中村剛也選手であったけれども、2016シーズンは足の具合が思わしくないこともあり、ほとんどがDHとしての出場だった。
よって、三塁手の座が空いた格好となり、何人かの選手で争っていたけれど、私が見に行った五月ころは木村選手がスタメンで起用されることが多く、私が見に行った試合もそうであった。
私がその日観戦していたのは、三塁側フィールドシートの最前列という特等席で、つまり目の前がサードベースであった。
だから、サードの木村選手の動きは大変よく見えた。
そして、ライオンズは三塁側のベンチに入っているから、スリーアウトをとって、守備から戻ってくるときには、方向的に私たちの方に向かって戻ってくることになる。
そして、すぐに気がついた。
木村選手はサードの守備位置から勢いよく全力疾走で戻ってくるのだ。
他の選手もだらだら帰ってくる訳ではなかったけれど、その木村選手の全力疾走はひときわ目立った。気持ちよかった。
そして、それはどのイニングでも変わらなかった。
私はそこに、木村選手のライオンズに、このシーズンに賭ける思いを見たような気がした。
彼はテスト入団であり、このシーズンに結果を残さないと後がないのだ。
一日一日が必死だっただろう。
なんとかライオンズで生き残りたい、その気持ちがサードベースから自軍のベンチまでも全力疾走させたのだと思った。
私はその姿にじーんときて、いっぺんに木村選手の大ファンになった。
一緒に行った夫も、木村選手の全力疾走にはいたく感動したらしく、後々も折に触れてその話をしていた。
ところが、それから1ヶ月も経たないうちに木村選手を悲劇が襲った。
練習中に右膝前十字靱帯断裂という大怪我をしてしまい、ランニングを再開できるまでに三ヶ月はかかる見込み、もちろんシーズン中の復帰は絶望的となってしまった。
あの全力疾走に感動した直後のことであったから、私はひどく落胆し、また木村選手の心情を思うと、自分のことのように悔しく、悲しかった。
そして、木村選手の回復のニュースもないままシーズンは終わり、プロ野球界には冷たい秋風が吹き始めた。
戦力外通告の季節なのである。
その中に木村選手の名前が入っているのではと、私は密かに心配し、毎日祈るような気持ちでインターネットのスポーツニュース欄を見ていた。
だがある日、とうとうライオンズの戦力外通告を受けた選手の名前が発表され、その中には残念ながら木村選手の名前も入っていた。
このニュースを聞いた(見た)ときの私の気持ちと言ったら…。
果たしてこれを言葉で表現することが可能なのだろうか。
悔しさ、悲しさ、憤り、怪我さえ治ればまだまだやれるはず…いろいろな気持ちが交錯し混沌とし、しかしそのどれもがぴったりとはこなかった。
大好きな選手が引退するときはいつも悲しいが、自分で決める「引退」ではなく、球団から一方的に言い渡される「戦力外通告」は、その比ではない。
当該選手のこれまでの苦労やがんばり、今現在の心情なんて分かるわけがないのに、それでも自分のことであるかのように、ごちゃ混ぜのなんと名付ければいいのか分からない感情が、少なくとも数日から数週間は胸の中をぐるぐるするのである。
木村昇吾選手は、どちらかと言えば地味な選手だったし、目立った活躍もそれほどなかった。
それゆえ、コアなプロ野球ファン以外は、知っている人の方が少ないだろう。
でも、私は絶対に忘れないと思った。
あのサードベースからの全力疾走、どのイニングも決して手を抜かない。
それを目の前で見た感動を、たとえ私だけでも覚えていようと思った。
三塁から全速力で戻りくる木村昇吾を我は忘れまじ
詩心もまるでない、本当にどうしようもない歌ではあるが、この歌だけは心に刻印しておこうと思った。
ということではあったのたが、実はこの話にはまだ続きがある。
戦力外通告から約1ヶ月が経ったある日、インターネットを見るともなしに見ていたら「西武・木村昇 育成として再契約」という文字が飛びこんできた。
「うわー、ほんとに?よかったー!」
私はパソコンの前で大きな声で叫び、ガッツポーズをしていた。
怪我さえ治れば、また支配下登録される見込みがあるそうだ。
その日が少しでも早く来ることを祈って、2017シーズンも楽しみに待ちたいと思う。
がんばれ、木村昇吾!
(見に行った日の写真です。あまりいい写真がなかったのですが、三塁側フィールドシートからの雰囲気だけでも。)
******** (引用終わり) *******
木村昇吾選手のその後ですが、2017シーズン途中で育成選手から支配下登録選手への復帰を果たし、一軍の試合にも出場したものの、結局その年限りで再度戦力外通告。
12球団合同トライアウトを受けるも、獲得球団はなし。
しかし、このトライアウトをきっかけに、クリケット関係者が目を留めて、なんとクリケットのプロ選手に華麗に転身したのです!
(日本のプロ野球選手がクリケットに転身するのは、もちろん史上初)
クリケットは、日本ではあまりなじみのないスポーツですが、イギリス発祥の、イギリス、インド、オーストラリアなどでは大変人気のスポーツで、一流の選手になると、億単位の年俸を稼ぐそうです。
今現在も、クリケット選手として日々闘っている木村昇吾選手。
競技は違えども、日本のパイオニアとしてのその挑戦を応援し続けていきたいです。
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