八角堂便り

虫の歌いろいろ / 山下 泉

2019年5月号

 必要があって塚本邦雄の作品について調べているときに、『水葬物語』(1951年)の中の次のような歌に立ちどまった。
  昆蟲は日日にことばや文字を知り辭書から花の名をつづりだす
  どこまでも坊やのさきへさきへ翔ぶ斑猫と慈善音樂會へ

 一首目は戦前のモダニズム短歌のお洒落な風合いを湛えながらも、「昆蟲」はまるでコンピューター言語の感触で、デジタル映像の動きのような味わいが面白い。塚本はすでに電脳社会の到来を予見していたのかもしれない。
 二首目の「斑猫」は甲虫の一種だが、道沿いに人の歩みを先導する習性があるらしい。塚本は前衛短歌の旗手として反・私性を方法の出発としたので、この歌にはかなり意外感がある。つまり私史とも符合するところのある「坊や」の歌には、小さな生き物の生態と幼子の姿が柔和に、ほとんど嫌味なく描かれていると感じるのだが、どうだろうか。
 先にふれたが、モダニズムというヨーロッパの前衛芸術・文学が、日本の戦前と戦後の短歌表現にどのような影響を与え差異を生み出したかというテーマはとても興味深い。今はまだそれを論じる準備がないのだが、ひとまず有名な戦前のモダニズム短歌の作品から、「虫」の登場する歌を二首挙げてみよう。
  この虫も永遠とかいふところまで行つちまひたさうに這ひ急ぎをる
                      前川佐美雄『植物祭』(1930年)
  布に汚点ある喫茶店などに入り来て蠅もわれらも掌を磨る午後は
                         斎藤史『魚歌』(1935年)

 前川佐美雄の、抽象性の高い「虫」は、小さくてときに毒性をもち群衆の比喩かとも想像させる。わざとブレさせたような口語口調はなんとも奇妙だ。
 斎藤史の「蠅も」「われらも」「掌を磨る」という、こきざみで、細部のリアルを感じさせる、戯画的でまた不気味な修辞が、時代への危機感と関係があるのかどうか気になるところだ。
 さいごに、二十世紀の「虫」はどのように歌われたのか、少し挙げておきたい。
  草に置くわが手のかげに出でて来て飴色の虫嬬(つま)を争う
                               岡井隆『斉唱』
  窓の上に巣くいし蜂のひそひそとこもりて音す曇り月夜を
                       高安国世『砂の上の卓』(57年)
  そこより踏み出せばつきることなき軽やかさあれ閉ざされた円をめぐる昆虫
                       山中智恵子『空間格子』(57年)
  いつしんに樹を下りゐる蟻のむれさびしき、縦列は横列より
                          葛原妙子『原牛』(59年)

 それぞれの技法の特徴を超えて、「虫」は人間の似姿であり、その生命に耳を澄ましたくなる対象であり、生きる悲哀をふかく悟らせる存在なのだと思われる。

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