学生の歌を読む / 吉川 宏志
2019年4月号
昨年も書いたのだが、広島県にある三次高校が主催している学生短歌の全国大会の選者をお引き受けしている。昨年(第十一回)も九八〇〇首以上の応募があったとのこと。大森静佳さんが予選を担当していて、約半分に絞り、その中から私が優秀作を十首選んでいる。今回もとてもいい歌がそろったので、いくつか紹介したい。まず高校生の部から。
夕焼けの教室に浮く君の影 影の世界ならふれているのに
松見綾乃
まだ触れることはできない関係である。しかし自分の影と君の影が重なっているのを見た。異次元の世界では、もう触れているのだ、という思いが鮮烈である。君の影が「浮く」という動詞の選びがすばらしい。この表現によって、夕焼けに赤く染まった教室が、いきいきと目に見えてくる。「ふれているのに」という終わり方にも深い余韻がある。
カリカリとみんなのペンが走り出す後ろで木々もざわめいている
平石夏都
試験を受けているのだろう。現実的には動きのほとんどない場面なのだが、このように歌われると、それぞれが疾走しているように感じられる。「後ろで」もよくて、木々の間を駆け抜けていく爽やかさが伝わってくる。高校の試験はほんとうに大変で、私はもう二度と受けたくないが、未来を自分で切り拓いていく実感を抱いた瞬間もあったように思う。
祭りの日砕けて消えろりんご飴夏の約束あれはうそっぱち
瀬口愛奈
怒りのエネルギーに満ちた歌。赤い色が目の前にぱっと散るようだ。「うそっぱち」に勢いがあって、いいなと思う。夏に約束をしたのに、秋の祭りは一緒に行けなかったのだろう。別れに至った時間が背後にあるのだ。
カレンダーめくる右手の手の甲に昨日のメモがかすかに残る
村上唯人
その一方、静かな日常の歌もある。過ぎてゆく時間の痕跡。若い日々の哀愁が、どこか漂う歌だ。
次は中学生の作品。
白い雲時間がよこにながれてくぼくの時間は上に伸びてく
福田知真
この歌には本当に驚かされたし、感銘をおぼえた。空を流れる雲の動きは、たしかに横の時間といえるだろう。そして身長が伸びていく自分の時間は、縦なんだ、という思いもよくわかる。この横と縦の交差がとてもおもしろく、大きな時空の広がりが、一首の力で生み出されている。この新鮮な言語感覚を、これからもずっと持ち続けていってほしいと願う。
ひらひらとぼくたちの手をよけていく桜の花びらおにごっこ上手
柳川智樹
小学生の歌。これもうまいなあと感心する。空中の花びらは、手でうまくつかむことができない。それを「おにごっこ上手」と表現した。巧みすぎるくらいなのだが、いつも鬼ごっこをして遊んでいるからこそ出てきた直感の言葉なのだろう。
図書館でひとりぼっちの本もある読んであげるとよろこぶだろう
菅原友乃
これも小学生の歌で、心に沁みてくる優しさがある。学校の図書館なのか、誰も読まないような古びた一冊があるのだろう。それを作者はときどき開いてみる。本のさびしさに触れることで、自分の中のさびしさも、暖かい光に包まれる。そんな時間が、私の小学生時代にもあった気がして、すごく共感したのだった。
歌を選ぶということは、時間がかかって大変な面ももちろんあるのだが、とても楽しい。ある意味で、他人の作品の中から、もう一人の自分を探すような感触もあるのである。
また、優れた作品を自分が見落としてしまうのは、非常に恐ろしいことだ。せっかく生まれてきた美しいものを埋もれさせてしまうのは、一つの罪のように思われるのだ。それでも見逃してしまって、後悔することはあるのだけれど。
自分が選んだ歌を、しばらく時間が経ってから読み返すのもとてもおもしろい。力を入れて選んだ時間が、そこに刻み込まれているような感じもする。