短歌時評

拡散後の蓄積 / 濱松 哲朗

2019年4月号

 短歌ムック「ねむらない樹」vol.2(二〇一九年二月)をめくりながら、平成の三十年間とは短歌においては口語的表現の「浸透と拡散」の時代だったのではないかというぼんやりした仮説が肉付けされてゆく感触を得た。
 特集「ニューウェーブ再考」の中で花笠海月は、「享受者がジャンルの概念をわかっているコアな層から一般層に広がっていくことにより、概念が「消えて」しまう現象」としての「浸透と拡散」が「ニューウェーブ」においても当てはまると指摘する。かつて荻原裕幸は「現代短歌のニューウェーブ」(「朝日新聞」一九九一年七月二十三日夕刊)を書いた時、短歌のサブカルチャー化を意図しつつ、本流でないものとしての「ニューウェーブ」を提唱したのではないか。その時点で彼らが対抗した「本流」とは、あの昭和の終わりのベストセラー歌集『サラダ記念日』だったのではないか。そして何より、この対『サラダ記念日』という構図はニューウェーブ以外の当時の流行(ただごと歌や茂吉再考等)も同様ではないか――。それゆえ花笠は「ニューウェーブを軸に考えることはあまり意味がない」と書き、「ニューウェーブ」拡散以前の状況に立ち返って諸々の流れを考察することを促している(もっとも荻原本人は、作品においては既存の文化や語の位相をサンプリング的手法によって解体しようと試みていた節がある点も、指摘しておいて良いだろう)。
 同じ特集内で平岡直子は「たとえばこう断言してみよう、現代短歌における「ニューウェーブ」はファンクラブとして発足した。前衛短歌の巨匠、塚本邦雄のファンクラブである」と大胆な仮説を提示しているが、この平岡の言葉を頭の片隅に置いた状態で、同誌の別の座談会「俳句と短歌と」における堂園昌彦の発言を拾っていくと、面白いくらいに辻褄が合う。「前衛短歌は自分で体験していなくても虚構のものとして作っていたわけじゃないですか。私性を一旦置いた上で、テーマというところでやっていた。(…)けれども、穂村さんの時代になると、言葉が玩具的になってきた。塚本がいた時は私性の力が強かったから道具として言葉を使うこと自体がカウンターになり得た。それに加えてそもそも戦後主義に対する憎悪みたいなものが塚本の中にはあって、(…)現在においては(…)動機の部分が薄れた結果、塚本の言葉の手つきだけが残った。それをエピゴーネンとして使っていくと玩具的になっていく」――。ニューウェーブはここでは前衛短歌の浸透と拡散の後に来る運動として捉えられている。かつて加藤治郎が口語体を「前衛短歌の最後のプログラム」と表現したのは、先行世代である前衛短歌を歴史化しつつ、その流れを踏まえ受け継ぐものとしてみずからを短歌史的にマッピングする試みだったのではないか。秋月祐一は「前衛歌人の息子の世代である」ニューウェーブの四人に「自分たちはライトヴァースとは違う、という青年らしい自負心があったのではないでしょうか」と指摘する。ライトヴァースという現象・・と対抗しつつ、前衛に続く運動・・として自己規定を企てた際に行き着いたのが、語のサンプリングであり、言葉の道具化であり、口語化だったのではないか。
 浸透と拡散の遂げた結果、ニューウェーブの試みは既に詠みばかりではなく、読みの蓄積をも生み出している。だが、その蓄積は堂園が指摘するように明文化されない「ふわふわとした参照文化」であり、移ろいやすいものが何となく共有されている危うさを含んでいるのもまた事実だ。昨年のシンポジウム以来ニューウェーブに関する議論が活発なのは、拡散後の蓄積を明文化しようという、私たちの新たな欲望のあらわれなのかもしれない。

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