塔アーカイブ

2018年4月号

(前編からの続き)
 
◆「あとがき」をどう書くか
小川 北島さんも沼尻さんも第一歌集に「あとがき」書いておられますし、花山さんも比較的「あとがき」書いておられますよね。「あとがき」に関して思い入れ、こうしたかった、その辺りのお話をお聞きしたいです。
花山 私は、その時期のことをちょっと書く。その時期の感じっていうのかな、その歌集の。
沼尻 時代背景とかですか。
花山 時代もちらっと、でも、さらっとね。震災のことなんかはみんな書いているね。
小川 北島さんはこの第一歌集の「あとがき」はどういうふうに?
北島 やっぱり釈明しなきゃいけないからね。
一同 釈明?
北島 何でおまえ歌集出したんだ、と。そういう一種の釈明と、それとお世話になりましたから、どうもありがとうございましたというお礼と、この二つです。やはりこの二つは言わないといけない。あと、なぜこの題名にしたかということは言いたかったので、その三つですね、どうしても伝えたかったことは。あと、なるべく短くしたかったということですね。
小川 沼尻さんの「あとがき」は?
沼尻 私、「あとがき」の書き方が正直わからなくて淳さんに聞いたんです。そしたら、「好きなこと書けばいいんですよ」と言われ、結果、好きなことを書きました。歌集をまとめていくうち思い出した自分の原体験など。そして「沼尻つた子」と現実の「私」は違うものだということをはっきりさせておきたかったんですね。もちろん私の実生活をもとにした歌がほとんどですが、線を引いておきたかった。「私の歌集です」ではなく「沼尻つた子の歌集です」という一文は入れたかったんです。
それから短歌というものに対する感謝です。十数年前に短歌と初めて出会い、今なお自分が短歌をやっているということ、しかも本まで出してしまうということに改めてびっくりしたので、それを書き残しておきたかった。
あと、一番大事なのは関係者への謝辞ですね。それは外せないなと。でも御礼を言い出すとキリがないので、抑えに抑えて書きました。
小川 だめ出しもあったんですか。
沼尻 全く無いです。淳さんにメールで送稿したら「いいあとがきですね」と返ってきて、それで通りました。逆に自分で、提出後の原稿を削ったほどで、これでもまだ言い過ぎたかなと。本当は何も言わないぐらいがいいのでしょうけど、難しいですね、その塩梅は。
小川 歌集における「あとがき」というものの位置づけ、「あとがき」が歌集全体にもたらす効果については、花山さんいかがですか。
花山 やっぱり「あとがき」がいいなと思うことはありますね。その人の向かい合い方みたいなのが結構出ているかな。「この人、口先だけだ」とか「ちょっと浅いなあ」とか「しっかり向き合っているな」とか、そういうのは「あとがき」で感じる。「あとがき」は大事かな。
小川 私さっき跋文などは絶対最後に読むと言ったんですけど、実は「あとがき」は真っ先に読んじゃうんですよ。
沼尻 私も、目次と「あとがき」から行きます。
小川 そこで一定の方向づけされてしまうというのもあるかもしれないけど、「この作者はどういう気持ちでこの歌集をつくったのかな」というのが真っ先に知りたいみたいな気持ちがあって、ついそうしてしまうんです。
花山 何かこう見えちゃうとこあるのよね、「あとがき」で。
小川 怖いですね。
沼尻 本当は作品だけで差し出せればいいんだけど、でもなかなかそれもままならないし。
花山 でも「あとがき」はやっぱり欲しいかな。
小川 どういう理由で欲しいと思うんですか。
花山 何だろうね、そう言われるとね。
沼尻 私は歌集を出すって、すごい一大事業だと思うんですよ。特に第一歌集だと。その大変なことを何でやろうと思ったのかというのはやはり知りたいし、作者に寄り添いながら読み始められますよね。全く知らない人といきなり向き合う場合もあるわけで、そうするとちょっとドアをノックするような気持ちで「あとがき」を読ませてもらう事が多いです。
小川 そしたら、その歌集への入り口というか、導入部みたいな位置づけ。
花山 全く歌だけ読まされて、その輪郭がないというのも…。短歌ってやっぱりそういうところがあるのね。その人の輪郭というか、どこの何者が作っているのかというのは、よくこの頃論争になるけどね。「誰が作っているかが問題みたいな言い方はすごく保守的だ」と言われるけれども、ある程度、やっぱり年齢的なものとか何かが欲しい感じはしちゃう。
小川 短歌というものの特性が要請している部分というのがあるということですか。
花山 と思っちゃうわね。完全にその作品だけで読めるのかというのを、思うときはある。
沼尻 例えば小説を出版するとき「私はこういう者で出版に至りました」みたいなのはつけないでしょうから、短歌という特性にかなり密接にかかわっている気がしますね。
 
◆歌集出版の過程におけるアドバイス
小川 ここまでハウツー的なところの話を進めてきたんですけれども、その一連の過程の中で、誰に、どういうことを助言してもらったか、何か印象的なことはありましたか。
沼尻 全く手探りの中で、淳さん、周子さんという、世代も近くて気兼ねなく言い合える、そういうお二人がいてくれたというのは心強かったです。
 あとは塔の先輩方にも相談したのですけど、返ってきた答がほぼ「思うようにやってね」なんです。「こうしろ、ああしろ」というのは、どなたにも言われなかった。それは「塔」というカラーもあると思います。自由で自主性を尊重する空気が、とてもありがたかったです。
小川 逆にアドバイスをする側として花山さんはその辺はどう感じておられますか。
花山 あんまりしないんじゃないかな。出版準備を進める上でというのは。
沼尻 でも皆さん、結構悩まれたりしていません?「どうしたらいいんですか?」って。
花山 それは「最初の段階でこういうふうに持ってきてください」と言ってチェックする。
 あと言えるのは、かなり整理してない段階でも入稿してしまいなさい、ということですね。要するに、ゲラになったときの方が見やすいから。そこで見て削れるし、そこで入れたり移動したりもできるから。
沼尻 それ、すごくわかります。ゲラで「これ要らなかった」「ここは足りなかった」などの点が見えてくる。歌集というものが、ぐっと自分に近づいてくる感じがします。
北島 私が受けたアドバイスの中の一つに、「重い歌ばかり並べないでください」というのがありました。つまり、重い歌ばかりが並んでいると、お互いに干渉し合ってそんなに重い歌でなくなってしまうという。捨て歌を挟んで気を抜く場所を作ってくださいということも言われましたね。私の場合、玉石混淆だから、最初からもう軽い重いみんな混ざってしまっているので、あまりそこは、結果的に意識はしませんでしたけれども、最初に並べるときにそういうアドバイスを受けました。
小川 確かに歌会などでも「この歌は目立たないかもしれないけど歌集にあるといい」などと聞いたりしますね。花山さんは、そのあたりもアドバイスされたりするんですか。
花山 そういう何でもない歌を挟んでいくっていうのは結構コツかしらね。あんまりもうばちん、ばちんってばっちりモードもね。
小川 よく聞くのは、例えば「塔」で採られた歌、投稿して掲載された歌ばかり並べてしまうと面白くないと。そういうものですか。
花山 それはもう如実に感じます。コンクールの特選歌みたいなのを並べても全然よくないんだよね。反対に普段目立たないのに、歌集にしてみるとその人の世界が立ち上がってくる歌っていうのはあるのよ。不思議なもので、それはすごく思いますよね。
小川 それは一首一首を見ていたときと歌集というまとまった形で見るのとまた印象が違うということですか。
花山 全く違うわね。
沼尻 それが歌集という形の醍醐味でもあるのかな、不思議なもので。
花山 「塔」で落とされたからって入れないってものでもないね。
小川 それすごく聞きたかった。
花山 入れて全然構わない。十首出した中での相対的なもので落としているわけだからね。それがすごく生きるってこともあるのよ。そういうのを後でみんなが褒めてくれるとか、そういうこともあるわけで、だからもう「落とされた歌」というふうに決めつけない方がいい。歌をとってある人は、最初から選び直すくらいのつもりがいいと思う。
小川 採られた・採られないというこだわりは一旦置いて選んだ方がいいと。
北島 それはそうだと思いますね。やっぱり好きな歌が基本だと思っています。
沼尻 淳さんからいただいたアドバイスを一つ思い出しました。「自分ではそれほど気に入っていない歌でも、他の人からいいと言われたものはなるべく収録しましょう」という。
小川 逆ですね、今のと。
沼尻 そうなんですよ。本人が好きな歌が歌集の基本になるとは思いますが、「自分ではいまいちなのに何で良い評価をされたの?」というような歌は入れましょうと助言されて。結果、歌集になってみると「やっぱり入れてよかったな」と感じましたから、「自分が好き」だけが基準じゃない方がいいかもしれない。
小川 自分の好きな歌も入れる、でも自分では何がいいのかよくわからないけど評価してもらったものも入れる。結構その取捨選択って苦しくないですか。
沼尻 苦しい。苦しいけど、でもそこでゲラなんですね。ゲラで見ると、あ、大丈夫かなっていうのが、何となく見えてくる。ずっと歌稿のデータでばかり見ていてもわからなかったものが、ゲラで一ページ三行の形に仕上がってくると、何となく疲れていた目がリフレッシュされるような感じもあるし。あとはもう本当に思い切りかな。
 
◆歌集出版の前後で変わったもの・こと
小川 皆さんには、歌集を出版するということに対する様々な思い入れもあったと思うんです。そういうものが出版する前と実際に出版した後とで、自分の中でも外でもいいんですが、何か変わったというものはありますか。
北島 歌集を出すことは誰にも言わなかったんでね、家族にも。それが、出版して、机の上に置いておいたでしょ。そしたら、家内が見て、こっそり友人らに配っていたよね。それから、息子が「おやじやるじゃないか」と。「持っていけよ」と言ったら、「いや、せっかく作ったのを買うよ」と二冊買ってくれました。そういう意外なことがあって感激しました。
 もう一つは、「塔」でも普段顔を合わせてない方もいる。そういう方にも贈ったんですが、そういう方は一つの作品として全体を読んでくださって、「あんたはこういう世界の歌を作っていたのか」という理解をしていただいた、それはうれしかったです。
小川 沼尻さんはどうですか。
沼尻 歌人としては、周りが非常に騒がしくなりました。感想のお手紙を頂いたり、新聞や雑誌で取り上げられたり、凄くざわざわして。
でも私生活の方は、本当に何も変わらなかったです。親にも夫にも出版のことは伝えず、唯一、中学生になった娘が読んで「お母さん頑張ったね」と言ってくれて、それだけで十分です。
 それから批評会を開いて頂けて、大変ありがたかったです。歌集を出すのが一大事業で、批評会でまた大きい山が来たという感じがありました。相当胃の痛い批評会だったんですけど、様々な意見を聴けて感謝しています。
出版から一年経ちましたが、いまだに反響をいただいていて、それはやっぱり一冊という形にまとまったからだな、と考えています。
小川 花山さんにお聞きしたいんですが、いろんな方の歌集を作るに当たってアドバイスする機会はすごく多いと思うんです。そういう過程を通してその歌人が変わるというのが目に見えることってあるんですか。
花山 どうだろう。短歌を作り続ける、そういうポジションになる、そういう覚悟ができるみたいな感じかしら。漠然と作っていた人が、それなりに腰を据えるって感じはするわね。
 歌集を持ったということは、その人の人生の中で、やっぱりちょっと大きいんじゃない。一つの形としてできたということだから。
 新聞や雑誌で応援している人とか、好きな歌を作る人っているんだけど、やっぱり歌集を読むと違うでしょ。そこら辺は大きいのよね。でも、歌集を持たないというのも、むろんありです。出せる人ばかりではないし。
北島 歌集を出すと自分でも「自分の歌はこうだったのか」というのを改めて認識するんですよ。単発で作っているときには「大体こんな感じの歌を俺はいつも作っているな」ぐらいの感じなんですが、それが一つのまとまった形になると、「あ、自分の世界というのはこういうものなんだな」ということを認識させられますよね。要するに、鏡に映した感じですよ。今まであまり自分の姿っていうのは映したことがない。もちろん表面的な姿は姿見で見えますけれど、心の内側を映したことというのはあまりない。それが一枚一枚の写真じゃなくて、一種の写真集みたいな形で出てくるとよくわかるという感じですね。それはとってもいいことだったと思います。
花山 客体化されるってことでもあるよね。
沼尻 「歌集を出さない」という選択肢も、勿論あると思います。でも、もしチャンスがあれば出した方がいいのではと、自分が出してみて改めて考えました。自分の足場がしっかりする、というのはきっとありますね。
小川 足場ね。
沼尻 そう。だから、歌集上梓が山の頂上ではないですよね。何合目かに足をかけたぐらいな感じです。よくここまで登ってきたな、とひととおり景色を見渡して、さあまた登ろうという気分になれるかな、という。
 
◆最後に
小川 では、今日の座談会の感想を簡単に一言ずついただけますか。北島さんどうですか。
北島 皆さん、出すか出さないか迷った末に歌集を出して、それで結果的に「よかったな」と思っている、ということはやはりいいことなんじゃないかなと思いました。
 本当に苦しい時期もある、いろいろ歌を選択して、編纂して、忙しい時期に机にかじりついていたりしなければならなかったけど、結果的にできればめでたしめでたしみたいな感じになった。そしてまたこうやってお互い語って「歌集出してよかったね」と言えることは、やはりいいことじゃないかなと思いましたね。
小川 沼尻さんいかがですか。
沼尻 お二人の話をとても嬉しく面白く聞かせて頂きましたが、私も北島さんもちょっと変わったタイプだったかなと感じました。
北島 あまり人に頼らない形でしたよね。
沼尻 今後、歌集出版もどんどん個性化、細分化されていく予感がします。ですから、前例などにあまりきっちり従わなくてもいいんじゃないかな、自分のやりたいように、怖れずにやってみていいのではと、生意気ながら思いました。いろんな人が歌集を出してくれることによって、私もまたいろんな短歌に出会えますし、過去に一度出会っていた一首も歌集になれば印象が変わると思います。これからもたくさんの歌集に出会いたいです。
小川 では、最後に花山さん。
花山 今日のお二人はたまたま特殊なケースでしたね。主体的というか、意識的なので、一般的にどこまで参考になっているのかと思ったけど。基本的には出版社決めるにしても、自分がぼんと行っていいのよね。つまり人を挟まないといけないと思っている人多いと思うけど、取り次ぎみたいのはなくてもできる。飛び込みで全然構わないわけで「ここの出版社ちょっといい本出しているな」と思って行ってもいいと思います。
沼尻 根回し的なことは要らないかもしれないです、意外と。
花山 そうそう。もちろん頼ってもいいわけだけど、好きにできるんですよっていうことはちょっと言っておきたいかな。
 面白かったです、こういう変わった人たちの話が聞けて。
小川 今日は本当にありがとうございました。

(二〇一八・一・一七 於 ルノワール マイスペース 銀座マロニエ通り店)

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